ミナルディ・M192(Minardi M192)は、ミナルディが1992年のF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラ1カー。チーフデザイナーのアルド・コスタと、空力専門家のルネ・ヒルホルストの共作[1]。決勝最高成績は6位。
概要
開発と経緯
1992年、前年限りでミナルディへのフェラーリV12エンジン供給は終了となり、チームはフォードV8とランボルギーニV12の中からランボルギーニを選択した。前年からのF1界でのトレンドに合わせノーズ先端をやや持ち上げてリフトノーズ化し、ジョーダン・191風のトーショナルウィングを装着したスタイリングが特徴である[1]。
シーズン序盤はM191Bで参戦し、4月22日-24日に行われたイモラ合同テストでM192がシェイクダウンされた[1]。コスタは「このマシンは空力性能を大幅に向上させるため、360時間にわたる風洞実験を行った。モノコックのカーボンファイバー素材の検討に時間をかけた結果、現行レギュレーションぎりぎりの軽量マシンに仕上げることが出来た。」と自信を語った[1]。
搭載するランボルギーニV12エンジンは、第2戦ブラジルGPから従来型よりも小型化と軽量化が施された「1992/A」バージョンが投入され、M192全体の軽量化にも一役買った。
サスペンションは、テクニカルスポンサーのトキメックと共同でアクティブサスペンションの開発を開始し、開発の進展次第で実戦投入にも対応できるようM192は設計された[1]。
1992年シーズン
M192のデビュー戦は第5戦サンマリノGPとなった。ジャンニ・モルビデリとF1ルーキーのクリスチャン・フィッティパルディがドライブしたが、両名ともリタイアした。モルビデリは多くのレースで完走したが最高位は第8戦フランスGPで記録した8位で、ポイントを獲得することはできなかった。フィッティパルディは3度の予選落ちも経験したが、第15戦日本GPで決勝6位に入り1ポイントを獲得した。
第8戦フランスGP予選中にフィッティパルディが首を痛めたため負傷欠場し、第9戦から第11戦の3レースではアレッサンドロ・ザナルディが代役として出場したが、予選落ち2度にリタイア1度といずれも完走することはできなかった。中でも第11戦ハンガリーGPではチーム全体が苦戦しており、モルビデリとザナルディ2台揃っての予選落ちであった[2]。
ミナルディはフィッティパルディが獲得した1ポイントにより、コンストラクターズランキング11位でシーズンを終えた。
F1における全成績
(key) (太字はポールポジション)
デモラン
2012年3月に行われた鈴鹿サーキット開業50周年感謝イベントでは、ミナルディに在籍したことのある中野信治がM192をドライブして、鈴鹿サーキット東コースでデモンストレーション走行を行った[3]。
参照