代沢(だいざわ)は、東京都世田谷区の町名。現行行政地名は代沢一丁目から五丁目。郵便番号は155-0032[2]。
地理
東京都世田谷区の東部に位置し、北に北沢、西に代田、南に太子堂、三宿、池尻、東に目黒区駒場に接する。
地形的には、台地と北沢川周辺の低地にまたがり、起伏が比較的複雑である(四丁目はほぼ平坦な低地)。こうした地形は、旧版地図等で確認できる。
駒場東大前駅に近い一丁目、池ノ上駅(京王井の頭線)があり、同駅や下北沢駅(小田急線・京王井の頭線、北沢に所在)の周辺の商店街もある二丁目、北澤八幡神社、森巖寺・淡島神社分社があり、下北沢の元々の中心に当たる三丁目・五丁目、代田、太子堂との結びつきも強い四丁目など特性の違いが見られる。
一丁目、四丁目は、住宅地が多くを占める。二丁目、三丁目、五丁目は、下北沢とよばれる地域の一角を占める。住宅地は、かつて佐藤栄作や竹下登が居を構えるなど、高級住宅街として知られる。
地価
住宅地の地価は、2024年(令和6年)1月1日の公示地価によれば、代沢2-2-15の地点で88万2000円/m2となっている。
歴史
元々、東京府(武蔵国)荏原郡下北沢村、代田村の一部で、15~16世紀頃に北沢川周辺等で両村の開墾が始まり集落の形成が進んだ。代田村は現在の代田・大原に相当する主部の他東側に飛地があり、この飛地との間で下北沢村を東西から挟む形となっていた。
明治時代以降世田ヶ谷村への合併、東京市、世田谷区への編入があり、宅地化が進んだ。1932年(昭和7年)の世田谷区発足の際に、下北沢は北沢に、代田飛地は代田から別れて下代田町となった。周辺の住居表示実施(1964年(昭和39年))に際し、旧北沢の南部と下代田町のほぼ全域(淡島通りよりも北の部分)が統合する形で代沢が成立した。旧北沢一丁目・二丁目と下代田町が代沢一丁目~五丁目と変わり、代沢小学校の南を流れる北沢川は暗渠となり、桜並木の遊歩道になる。なお、下代田町のうち代沢に含まれない部分は1971年(昭和46年)に池尻町と合併して池尻四丁目となった。
地名の由来
安政年間、森巌寺前の伊東氏宅の寺子屋は、代田村と下北沢村の境にあったので、「代沢塾」と名づけられたのが「代沢」の始まりで、代田と下北沢の合成地名。初めて代沢と付けられたのは1898年(明治31年)に開校した荏原小学校代沢分教場(現在の代沢小学校)で、その後1964年(昭和39年)に住居表示の際に地名となった。
世帯数と人口
2023年(令和5年)3月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 |
世帯数 |
人口
|
代沢一丁目
|
1,583世帯
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2,887人
|
代沢二丁目
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2,654世帯
|
4,544人
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代沢三丁目
|
1,011世帯
|
2,103人
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代沢四丁目
|
2,488世帯
|
4,388人
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代沢五丁目
|
1,690世帯
|
2,642人
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計
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9,426世帯
|
16,564人
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小・中学校の学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[4]。
丁目 |
番地 |
小学校 |
中学校
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代沢一丁目 |
全域 |
世田谷区立池之上小学校 |
世田谷区立富士中学校
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代沢二丁目 |
1~7番 13~17番 19~23番 33~48番
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その他 |
世田谷区立代沢小学校
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代沢三丁目 |
1~13番 17~27番
|
その他 |
世田谷区立池之上小学校
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代沢四丁目 |
全域 |
世田谷区立代沢小学校
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代沢五丁目 |
全域
|
交通
鉄道
道路
路線バス
- 渋51 渋谷駅 - 若林折返所
- 渋52 渋谷駅 - 世田谷区民会館
- 渋54 渋谷駅 - 経堂駅
- 下61 北沢タウンホール - 駒沢陸橋
施設
保育園・幼稚園・学校
公園
神社・寺院・教会
コンビニエンスストア
病院・診療所
- 代沢診療所
- 代沢内科クリニック
- 代沢さくら醫院
- 堀医院
- 松多内科医院
- 北医院
- かどた内科クリニック
- 羽山医院
- 原医院
- 大谷医院
- ゆうハートクリニック
- 大堀IBDクリニック
- 副島クリニック
- 清泉メディカルクリニック
- ひらやまクリニック耳鼻咽喉科
- 山手クリニック
スポーツジム
出身・ゆかりのある人物
脚注
関連項目
外部リンク