ホリプロ公式プロフィール
今 陽子(こん ようこ、1951年11月1日 - )は、日本の歌手、女優。所属事務所はホリプロ系列のパオ。本名、今津 陽子(いまづ ようこ)。身長168cm(1975年7月)[1]。
愛知県知多郡横須賀町(現:東海市)出身[2]。父親は日本のPOP広告コンサルタントの嚆矢[3]として活躍した今津次朗(2009年死去)[4]。両親が元々音楽好きだった影響で、幼少期より洋楽に造詣を深める[5]。
1964年、金城学院中学校に入学。1年生のときは宝塚歌劇団に憧れる。「男役をやりたい、那智わたるさんみたいになりたい、と真剣に考えたこともある」とのちに述べている[6]。「中学卒業後に宝塚音楽学校を受験しよう」と考えていたが[5]、2年生のときスカウトされ、東京へ移住。1966年、いずみたくに師事。1967年、15歳でビクターレコードよりソロ歌手として「甘ったれたいの」でデビューしたが全く売れなかった。
1968年、キングレコードに移籍し、ピンキーとキラーズを結成。同年7月20日に発売されたデビューシングル「恋の季節」[7]が、240万枚という大ヒットとなった[8][注釈 1]。
翌年発売の「涙の季節」も続いてオリコン1位を獲得。主演として映画「恋の季節」(1969年、松竹)も製作された。1972年ピンキーとキラーズからソロに転向。近年は歌手活動のほかにも女優業に進出し、ドラマ、舞台などで活躍中。
1981年3月から1982年2月の間、ダンス、歌、英会話等の勉強のため、単身ニューヨークへ留学。ブロードウェイのミンスコフ劇場で「SAYONARA」の主役オーディションを受け、合格するが、ミュージカルそのものが上演されなかったため、出演には至らず。
2011年11月には、ジャズアルバム「Love Seasons〜恋の季節たち〜」を発表。2012年7月には旭ジャズまつりにも出演。
21世紀にはFacebookを使用。「60歳からのフェイスブック」(マイナビ)という著書もある。
母は、若い頃にコロムビア全国歌謡コンクールで優勝経験があった[5]。父は、ギターやハーモニカが得意で若い頃にバンドを組んでいた。今は、子供の頃からバーブラ・ストライサンド、ライザ・ミネリ、ベット・ミドラーなどの洋楽を好んで聴いていた[5]。
父は、当時先述のPOP広告の仕事をしながら、日本の有名歌手[注釈 2]が名古屋でコンサートをする際の司会も時々行っていた[5]。中学2年生の頃に上記のコンサート会場でいしだあゆみのマネジャーからスカウトされ、いしだの所属先であるいずみたくの事務所への所属が決まった[注釈 3]。
当時「背の高い女性歌手は売れにくい」というジンクスがある中、1966年に今と同じくらいの身長の山本リンダが「こまっちゃうナ」でヒットしていた。今もこの流れに乗せられて、1967年に“ぶりっ子風”アイドル路線による「甘ったれたいの」でのデビューが決まった[5]。ただし本人は「私には肌が合わなかった」[注釈 4]ということもあり、この曲はヒットしなかった[注釈 5]。
上記のことに加え、同じ事務所の佐良直美が「世界は二人のために」で売れたことに、強い挫折感を味わった[5]。後日傷心して愛知の実家に帰ったが母親から叱られて奮起し、一晩だけ泊まって東京に戻り歌手を辞めずに済んだ[注釈 6]。ちなみに佐良とはサバサバした性格同士で馬が合い、仲は良かった[5]。
※ 演奏:オールスターズ・レオン。
Side:A
Side:B
※ 全編曲:大村雅朗
※ 全編曲:上田力。
ほか多数