![曖昧さ回避](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/fb/Confusion_grey.svg/25px-Confusion_grey.svg.png) |
建築・デザイン・都市評論家の「大竹誠」あるいはリポーターの「大竹真」とは別人です。 |
| この 存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。 信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。 出典検索?: "大竹まこと" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2013年12月) |
大竹 まこと(おおたけ まこと、1949年〈昭和24年〉5月22日[2][3] - )は、日本のお笑いタレント、俳優、ラジオ パーソナリティ。斉木しげる、きたろうの3人で構成するシティボーイズの一員[4]。本名は大竹 真(読み同じ)。1980年代半ば頃の一時期はソロ活動のみ「常滑川まこと」名義を使用していた。ASH&Dコーポレーション所属。
東京都目黒区出身[3]。東京大学教育学部附属中学校・高等学校卒業[5]。青山学院大学中退[3]。大竹オサムは双子の弟[6]。
来歴
高校生の頃はTBSラジオの番組『パックインミュージック』のパーソナリティを務めた野沢那智と白石冬美に憧れ、DJになりたかった[7]。
1971年秋、通所していた劇団「俳優小劇場」の養成所で、入所間もなく幹部間で内紛があり、直談判して費用を返金してもらう。その仲間が集まり、返金された金を元に劇団「表現劇場」を結成する。この時の仲間に、のちにシティボーイズを結成するきたろう、斉木しげるの2人と俳優の風間杜夫が在籍[7]した。1979年、きたろうと斉木、大竹の3人からなる芝居ユニット「シティボーイズ」を結成する[2]。劇団時代はアルバイトなどをせず、女性に経済的な援助を受けるヒモ生活を送る[8]。
新進気鋭の役者としてテレビの露出が増えていく風間の芝居を鼻で笑って腐していたが、ある日、手持ちの金が無く同居の女性に金銭を要求したところ、財布から500円を手渡され、全く収入の無い現状を認識して狼狽。とある公開イベントでプログラムを勝手に書き換え、何回かある幕間にシティボーイズのコントを差し込み、これが業界関係者の目に留まって芝居批評の記事になる。タレント業では芸能事務所「人力舎」と契約し、1979年、クイズ番組『ザ・チャンス!』のナレーションを受け持ったが、番組進行中に取り乱し昏倒、早々に降ろされた。数年のブランクを経て、再びテレビでの出番が増えていくが、放送媒体においては、シニカルなキャラクターから一転して、憤激して暴力と罵詈雑言で暴れるというタレントとして認知され、テレビ局から出入り禁止とされるほどの破壊的なキャラクターであった。単独で活動する際には常滑川 まことを名乗ることも多かった[7]。
1980年代初頭、上岡龍太郎が「東京にオモロイ(面白い)奴が居る」との噂を聞きつけ、大竹を関西の番組に呼ぶものの、大竹は萎縮してしまって何もできないまま東京に戻る。これで二度と関西から声はかからないだろうと恥じ入っていたが、上岡が大竹に再オファー、「何しても、ええ(良い)んやで。好きなようにやり(なさい)」とアドバイスを受けて腹をくくった大竹は罵詈雑言、乱暴狼藉を働く。結果、上岡もひっくり返って笑う程の爆笑を取り、近畿地区に足がかりを築く。上岡に対しては「師と仰ぐ事すら失礼にあたる」と尊敬の念をあらわにしている[9]
人物
エピソード
- 以前から大竹の事を「大嫌いだ」と発言していた丹波哲郎[注釈 1]とNHKで遭遇した際、大竹は自身に双子の弟のオサムがいることを利用して、「僕は双子の弟の方ですよ」と言って難を逃れたという。これが災いして、後に「NHKに大竹まことの弟がいる」「弟はNHKの大道具さん」などオサムの都市伝説が流布された[17]。
- 不遇の時代を送っていたことから、後に本職の料理人となった双子の弟のオサムと同じく料理が得意で、しばしばテレビ番組などで料理の腕前を披露し、野菜の千切りが得意である[8]。かつては料理を披露する時に、髪の毛が落ちないよう必ず水泳帽を被っていた[18]。
- 1988年に日本テレビの木曜スペシャル『タモリのいたずら大全集』に出演した際、山瀬まみに「何かお前、失恋したんだってな」と声を掛けたことから、本番中に取っ組み合いの大喧嘩に発展する。山瀬を舞台上で押し倒した後引きずり回し、衣装の上着を破って泣かせた。この取っ組み合いによって大竹の付けていたピンマイクが壊れたことを、山瀬に「マイク壊してんじゃねーよバ〜カ!」と突っ込みをされたことで更に逆上し「壊すってのはなぁ、こういうのを言うんだよ!」と言い放ち、番組セットを破壊した。この件により大竹は日本テレビから20年間(本人は17年間と語っている)の出入禁止となった。後に「(山瀬が)泣いたのが許せなくてやった」と話している[19]。その山瀬とは、彼女の事務所の意向により長年共演が無かったが、2008年10月24日放送のTBS『ドリーム・プレス社』[20]、2009年4月10日放送のTBS『ぴったんこカン・カンスペシャル』にて共演[21]、以降も他番組にこのエピソードを披露するために出演している。
- 司会進行を務めていたフジテレビ『夕やけニャンニャン』で、当時おニャン子クラブメンバーであった生稲晃子の頭を鷲掴みにして、股間に押しつけたことがある[7]。
- 1996年8月8日、杉並区高井戸東の路上で大竹が運転する乗用車と信号を無視したオートバイが衝突し、バイクを運転していた男性が死亡した。
- 2018年1月30日に長女が大麻取締法違反で逮捕され[22]、親として「監督不行き届き」であったとして、2月1日に『大竹まこと ゴールデンラジオ』の番組前の会見と番組内で謝罪した[23][24]。
- 大竹の後輩ダウンタウンの松本人志は著書『遺書』の中で、数少ない認められる人物「お笑い界のいい男4人」として島田紳助・志村けん・浜田雅功と共に大竹の名前を挙げている。「何をしでかすか分からない、いや、しでかした後のような危険さがあります」と評している。
- 東国原英夫は早稲田大学第二文学部社会人入試時に推薦文を書いてもらうなど、謹慎になった時に多大なる世話になったと語っている。今でも大竹を慕っており「兄さん」と呼んでいる[25]。
- 様々な考え方を許容するべきとの考え方から、選択的夫婦別姓制度導入に賛同する[7]。
- 北斗晶は、大竹のことを「日本のリチャード・ギア」と称する[26]。
- 2018年7月23日、腰椎分離症のため8月5日まで東京都内の病院に入院し、治療に専念することを発表した[27]。
賞歴
出演
テレビ
バラエティ
テレビドラマ
映画
- 八甲田山(1977年、東宝) - 雪中行軍隊・橇隊の兵卒 役
- 聖職の碑(1978年、東宝) - 山小屋を燃やしてしまう三人の男のうちの一人(ノンクレジット)
- 喜談 南海燮化玉(1978年) - 主演・鉄平 役
- 愛染恭子の未亡人下宿(1984年、にっかつ) - 肉屋 役
- さらば愛しき人よ(1987年、松竹) - ラジオのゲスト 役
- マリアの胃袋(1990年、アルゴプロジェクト) - 安井喜一郎 役
- スキ!(1990年、東宝) - 占い師 役
- シンデレラ・エクスプレス(1990年、キネマスターフィルム) - 松井大輔 役
- 香港パラダイス(1990年、東宝) - 平田 役
- ボクが病気になった理由(1990年、アルゴ・プロジェクト) - 田辺正太郎 役
- さらば愛しのやくざ(1990年、東映) - 坂田明二 役
- 継承盃(1992年、東映)
- エンジェル 僕の歌は君の歌(1992年、東宝) - 大竹まこと(本人)役
- ゴジラvsモスラ(1992年、東宝) - 友兼剛史 役
- 居酒屋ゆうれい(1994年、東宝) - 骨董屋主人 役
- クレイジー・コップ 捜査はせん!(1995年、タキコーポレーション) - 久方のぼる 役
- 北京原人 Who are you? (1997年、東映) - 内閣情報室長 役
- BROTHER (2001年、オフィス北野/松竹) - 警察官僚 役
- Stereo Future SF episode 2002 (2001年、東北新社) - ビデオ編集者の和田 役
- Last Dance ラストダンス-離婚式- (2001年、東映) - 大沢和也 役
- 恋の門(2004年、アスミック・エース) - 門の父 役
- アキレスと亀(2008年、東京テアトル / オフィス北野) - 屋台のオヤジ 役
- ふきげんな過去(2016年、東京テアトル) - 蓮月庵の店主 役(写真出演)[29]
- ヒメアノ〜ル(2016年、日活) - 清掃会社の社長 役
- 家族の日 (2016年、花三) - 宮島 貞一 役
- 首(2023年、KADOKAWA) - 間宮無聊 役[30]
オリジナルビデオ
- スネークマンショー 楽しいテレビ(1984年、ワンダーキッズ)※西部警察パロディ編の刑事役として出演。
- いつか帰ろう(1990年、ジェイ・ブイ・ディー)
ラジオ
ゲーム
CM
ディスコグラフィ
シングル
#
|
発売日
|
タイトル
|
収録曲
|
規格
|
規格品番
|
キャニオン・レコード / T・E・N・T
|
1st
|
1987年5月21日
|
俺の背中に火をつけろ!!
|
- 俺の背中に火をつけろ!!
|
EP
|
7A-0731
|
テイチク / BAIDIS
|
2nd
|
1988年6月21日
|
スピノザ
|
- そして私は孤高に立つ
- パラダイス・フォー・トゥー
- スピノザ
|
12inch
|
12BA-17
|
8cmCD
|
15CH-17
|
アルバム
オリジナル・アルバム
#
|
発売日
|
タイトル
|
規格
|
規格品番
|
ポリドール・レコード / BROADWAY
|
1st
|
1987年6月25日
|
大竹まことの文藝春秋
|
LP
|
28MB-0005
|
CT
|
28CB-0005
|
CD
|
H33B-20005
|
タイアップ
著書
脚注
注釈
- ^ 丹波は大竹がテレビ番組内で女性タレント達に乱暴な行為を働き、彼女たちを泣かせる事(後述)が許せず、大竹の事を非難していた。
- ^ a b 「常滑川まこと」名義。
- ^ 大竹が師匠と仰ぐ上岡龍太郎との思い出を語る。この放送4日後の5月19日に上岡が亡くなっていたことが6月2日になって公表された。6月2日のゴールデンラジオ放送直前に、上岡が亡くなったニュースが飛び込み、改めてこの放送と上岡龍太郎について語った[32]。さらに月刊「ラジオ深夜便」の2023年9月号にこの放送が再構成されて掲載された[33]。
出典
外部リンク
|
---|
司会 | |
---|
審査員 | |
---|
グランプリシリーズ グランプリ獲得者 | |
---|
ゴールデンルーキー賞シリーズ 優勝 | |
---|
サバイバルシリーズ 優勝 | |
---|
オープントーナメント サバイバルシリーズ 優勝 | |
---|
関連項目 | |
---|
関連人物 | |
---|