徽州(きしゅう)は、中国にかつて存在した州。北宋から元代にかけて、現在の安徽省黄山市一帯に設置された。
概要
1121年(宣和3年)、北宋により歙州は徽州と改称された。徽州は江南東路に属し、歙・休寧・黟・祁門・績渓・婺源の6県を管轄した[1]。
1277年(至元14年)、元により徽州は徽州路と改められた。徽州路は江浙等処行中書省に属し、録事司と歙・休寧・黟・祁門・績渓の5県と婺源州を管轄した[2]。1357年、朱元璋により徽州路は興安府と改められた。1367年、興安府は徽州府と改称された。
明のとき、徽州府は南直隷に属し、歙・休寧・黟・祁門・績渓・婺源の6県を管轄した[3]。
清のとき、徽州府は安徽省に属し、歙・休寧・黟・祁門・績渓・婺源の6県を管轄した[4]。
1913年、中華民国により徽州府は廃止された。
脚注
- ^ 『宋史』地理志四
- ^ 『元史』地理志五
- ^ 『明史』地理志一
- ^ 『清史稿』地理志六
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雲南行省 | 曲靖宣慰司 | |
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羅羅斯宣慰司 | |
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臨安広西宣慰司 | |
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大理金歯宣慰司 | |
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