1944年3月1日、無動力のプロトタイプ、型式番号H IX V1の初飛行が成功。搭載エンジンとして当初はBMW 003が予定されていた。このエンジンは小型大出力を目指す野心的な設計だったが、開発の遅れによる供給困難のため、より大型のJumo004にエンジンの変更を余儀なくされた。Jumo004は直径が大きく重量も重かったため、緊急に設計変更が行われたが、兄弟はこの問題を解決(現存機の写真から、エンジンがはみ出る箇所に整流フェアリングを取り付けてあることがわかる)し、1944年12月にH IX V2が完成した。翌年2月2日にテストパイロットエルヴィン・ツィラー中尉(Elwin Ziller)により初飛行したV2は満足すべき性能と安定性を見せた。
ただ、V2は2月26日のテストフライト時(通算4回目、飛行時間2時間弱時)にエンジンのフレームアウトを起こし墜落、炎上した。緊急着陸に失敗したパイロットのエルヴィン・ツィラーは死亡した。とはいえテストフライト自体の結果は良好であり、高性能を喜んだ空軍は本機をHo229として制式化した。量産能力を持たないホルテン兄弟の代りにゴータ社とクレム社に量産を発注した。戦局を覆す可能性がある高性能機として軍当局の期待は高く、複座型や夜間戦闘機型といった多様な派生型が計画、製作された。
本機は鋼管のフレームに接着剤でベニヤ板を組み付けるといった簡易な構造で製造が容易であり、またアルミニウムといった戦略物資を多用しないように配慮されていた。塗料には炭素粉を使用するなど、世界初のレーダーステルス機といえる[1]。おそらく輸送の都合で、機体は中央部と左右の翼に3分割できたようである。派生型はV3からV6まで各地で製作途中であったが、ドイツの敗戦にともなって製作も打ち切られた。
一番完成度が高かったV3はフリードリヒローダ(ドイツ語版)にあったゴータ社工場において、侵攻してきたパットン将軍指揮下のアメリカ陸軍第3軍に鹵獲された。この機体はアメリカワシントン・ダレス国際空港に隣接する国立航空宇宙博物館のスティーブン F. ユードバー ヘイジーセンター内のメアリー・ベイカー・エンゲン修復格納庫にて長らく中央部のみが展示されており、両翼部は失われたともいわれてきたが、現在は分割状態ながら全体が展示されている。同機体の後尾部に書かれている鉤十字は捕獲時の記録写真にはなく、戦後にアメリカ側が記入したものである。ホルテン兄弟の作成した他のほとんどの機体には鉤十字は垂直尾翼に書かれていた。