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中村 貞以(なかむら ていい、1900年7月23日 - 1982年3月12日)は、日本の日本画家。
浮世絵の伝統の上に近代的感覚を加味した画風を築いた。
略歴
本名は清貞。大阪市船場で鼻緒問屋を営む中村清助の第四子に生まれる。2歳のとき手に火傷したため、合掌描きを工夫した。両親は将来太夫にするつもりで、はじめ浄瑠璃を習わせたが、幼少期より習字や絵に才能を発揮。大阪経理学校中退。始め、浮世絵師の長谷川貞信に師事した後、
大正8年(1919年)、美人画の巨匠・北野恒富に師事し、大正12年(1923年)、現在の春の院展である試作展に入選。芸術院賞文部大臣賞を受賞[1]。
昭和7年(1932年)、院展で「朝」が日本美術院賞第1号となる。昭和23年(1948年)には日展の審査員となった。昭和25年(1950年)に松岡政信が、昭和27年(1952年)に長谷川青澄が入門する。
その後も昭和41年(1966年)、「シャム猫と青衣の女」などで日本芸術院賞[2]。画塾春泥会を主宰した。他の門人に浅田庭史、森本有泉、寺本郷史、小川雨虹らがいる。
主な作品
脚注
- ^ 中村貞以『出身県別 現代人物事典 西日本版』p954 サン・データ・システム 1980年
- ^ 『朝日新聞』1966年4月7日(東京本社発行)朝刊、14頁。
参考文献
- 油井一人編 『20世紀物故日本画家事典』 美術年鑑社、1998年
関連項目
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太字は恩賜賞受賞者。名跡は受賞時のもの。表記揺れによる混乱を避けるため漢字は便宜上すべて新字体に統一した。 |