廣津 雲仙(ひろつ うんせん、1910年(明治43年)10月1日 - 1989年(平成元年)9月19日)は、昭和期に活躍し、日展内閣総理大臣賞や日本芸術院賞を受賞した書家。日展の要職を歴任し常務理事を務めたほか、日本書芸院の設立、読売書法会の創立に尽力した。また、書道雑誌『墨滴』を刊行すると同時に、墨滴会を主宰し、後進の育成に力を注いだ。長崎県北高来郡高来町出身(現、諫早市高来町)で、本名は廣津 四郎(ひろつ しろう)。雅号の「雲仙」は、長崎県の雲仙岳に由来する。
略歴
書風
雲仙の作品は、堅実な古典的基礎の骨格を、雲仙の人柄ともいえる穏和な肉付きで包んでいて、厳しい格調の高さや内的精神の強さが、気取りや誇張のない、やさしい品の良さで仕上げられている。このような静かな書風から、新鮮な現代の息吹きが感じられる。また、楷書・行書・草書・隷書・篆書と書法の領域の広さだけでなく、濃墨の楷書作品の中でも、太い筆勢による作品や、細い線質を巧みに駆使した作品などで、文字自身の内容や情感に対する、作者の解釈や感覚による個性的な表現形式を、柔軟に対応させて、作品に新鮮な生命感を多様に表現している。
書法の領域について、楷書は鄭道昭、行書と草書は張瑞図、篆書は石鼓文、隷書は張遷碑の古典が原点に据えられている。この基本から変貌していく鍵を他の古典に広く求め、時には混合させ、また変身もした。中林梧竹、寂厳、良寛、富岡鉄斎、仙厓、倪元璐、黄道周、鄭燮などと、いずれもこれらの作家は、ここで再発掘されることになった。
雲仙の書は構築性に優れて整理整頓が行き届いている。張瑞図を厚い線で脇を締め、右肩を上げて威厳を示し、行間をすっきり通すのは、雲仙スタイルの典型である。晩年の書は鄭燮の気儘な長い線や肱の張りが加わり、いつも整然としていた雲仙に、遊戯性が表れだした。
著書・編書
- 廣津雲仙書展
- 廣津雲仙自選
- 廣津雲仙
- 廣津雲仙遺墨集
- 現代日本書法集成 廣津雲仙書法
- 教本 色紙作例集
- 続教本 色紙作例集
- 張瑞図の書法(全3巻)
- 擬山園帖(全10巻)
- 書道技法講座(6)鄭羲下碑
- 書道技法講座(18)鄭道昭
主な門弟
脚注
- ^ 『朝日新聞』1972年4月12日(東京本社発行)朝刊、23頁。
参考文献
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- 『墨滴』八紘社
- 『墨滴創刊500号記念誌』八紘社(1995年12月)
- 『廣津雲仙書展』(1979年6月)
- 『廣津雲仙自選』
- 『廣津雲仙遺墨集』(1990年7月)
- 『現代日本書法集成 廣津雲仙書法』尚学図書(1976年9月)
- 『111人による現代書10年の動き』小野寺啓治(1991年4月)
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太字は恩賜賞受賞者。名跡は受賞時のもの。表記揺れによる混乱を避けるため漢字は便宜上すべて新字体に統一した。 |