アントニオ・ピッツォニア(Antonio Reginaldo Pizzonia Junior, 1980年9月11日 - )は、ブラジル人の自動車レーサー。ピッゾニアと表記される場合もある。
他の多くのブラジル人ドライバーとは異なり、サンパウロやリオ・デ・ジャネイロといった南部の大都市出身ではなく、北部熱帯雨林地帯のアマゾナス州出身であることからジャングル・ボーイと呼ばれている。もっとも、ピッツォニアの出身地マナウスはアマゾン熱帯雨林に囲まれた陸の孤島であることはたしかだが、アマゾン川に面した大港湾都市である。
プロフィール
1991年から1996年にかけてカートレースに参戦した後、1997年よりイギリスでフォーミュラ・ボクスホール・ジュニアに参戦するようになる。その後、2000年にはイギリス・フォーミュラ3選手権で3勝をあげ、チャンピオンを獲得する。この活躍が認められ、翌2001年からは国際F3000に参戦し、選手権2位となる。また、F1ウィリアムズチームでのテストの機会を得ることとなった。
2003年に、ピッツォニアは、ジャガーでマーク・ウェバーのチームメイトとしてF1デビューを果たす。しかし、ジャガーチームは、トップチームの様に2人のドライバーを等しく戦わせられるほどのチーム力はなく、ピッツォニアはチームメイトに比べて、思わしくない成績にとどまってしまう。また、チーム内の政治的な動きにも巻き込まれた形となり、ついにイギリスGP終了後にピッツォニアは解雇されることとなり、その後釜にはミナルディのジャスティン・ウィルソンがつくこととなった。
F1でのレギュラーシートを失ったピッツォニアは、2004年に、かつてテストドライバーを務めたウィリアムズチームに復帰し、マルク・ジェネに次ぐテストドライバーに就任する。
2004年のアメリカGPでレギュラードライバーのラルフ・シューマッハが怪我により長期欠場を余儀なくされると、フランスGPとイギリスGPではジェネが代役を務めたが、今一つの走りに止まった為、ドイツGPからの4戦ではピッツォニアがその座に収まった。ピッツォニアはこのチャンスを生かし、リタイアとなったベルギーGPを除く3レースで7位に入り、チームのコンストラクターズポイント獲得に貢献した。
2005年シーズンを迎えるにあたり、ウィリアムズは、ジャガーから移籍してきたマーク・ウェバーのチームメイトに、当初はB・A・Rのジェンソン・バトンを据えることを目論んでいたが、契約承認委員会の決定でそれを断念せざるを得なくなると、ピッツォニアとジョーダンのニック・ハイドフェルドの間のオーディションで決定することとしたが、ハイドフェルドにレギュラーシートを奪われた。
2005年のイタリアGP前のモンツァ・テストでのクラッシュの影響で、ハイドフェルドがイタリアGPの土曜セッション以降を欠場することになり、ピッツォニアが代役として1年ぶりにステアリングを握ることとなった。ピッツォニアは予選走行順の不利がありながらも堅実な走りを見せ、またも7位入賞を果たした。次戦のベルギーGPでも代役を務め、ハイドフェルドが復帰を目指したトレーニング中に再度負傷したことから、つづくブラジルGP以降のシーズン残り3戦でも代役を務めることになった。
翌2006年はハイドフェルドがウィリアムズを去ったが、このシートをニコ・ロズベルグが獲得すると、ピッツォニアはチームを離脱した。
その後、チャンプカーでレギュラーシート(チーム:Rocketsports Racing)を獲得。シリーズポイントランキングは18位であった。
2007年はFMSインターナショナルからGP2に参戦していたが、成績不振によりシーズン途中で解雇された。
2008年はロングビーチで行われたチャンプカー最後のレースに、かつて所属していたRocketsports Racingから参戦した。結果は16位と完走したドライバーの中では最下位であった。
その後はスーパーリーグ・フォーミュラにSCコリンチャンス・パウリスタのレーシングチームから参戦した。
2009年も前年に引き続いてスーパーリーグ・フォーミュラにSCコリンチャンス・パウリスタから参戦。
レース戦績
イギリス・フォーミュラ3選手権
国際F3000選手権
F1
年
|
所属チーム
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#
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ランキング
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獲得ポイント
|
決勝最高位・回数
|
表彰台回数
|
予選最高位・回数
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2003年
|
ジャガー
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15
|
21位
|
0
|
9位・1回
|
0回
|
8位・1回
|
2004年
|
ウィリアムズ
|
4
|
15位
|
6
|
7位・3回
|
0回
|
6位・1回
|
2005年
|
8
|
22位
|
2
|
7位・1回
|
0回
|
12位・1回
|
- †印はリタイアだが、90%以上の距離を走行したため規定により完走扱い。
(key)
GP2シリーズ
アメリカン・オープンホイール
チャンプカー・ワールドシリーズ
年
|
チーム
|
1
|
2
|
3
|
4
|
5
|
6
|
7
|
8
|
9
|
10
|
11
|
12
|
13
|
14
|
順位
|
ポイント
|
Ref
|
2006年
|
ロケットスポーツ・レーシング
|
LBH 10
|
HOU
|
MTY
|
MIL
|
POR
|
CLE
|
TOR
|
EDM
|
SJO
|
DEN
|
MTL 11
|
ROA
|
SRF 10
|
MXC 12
|
18位
|
43
|
[1]
|
インディカーシリーズ
年
|
チーム
|
シャーシ
|
No.
|
エンジン
|
1
|
2
|
3
|
4
|
5
|
6
|
7
|
8
|
9
|
10
|
11
|
12
|
13
|
14
|
15
|
16
|
17
|
18
|
19
|
順位
|
ポイント
|
Ref
|
2008年
|
ロケットスポーツ
|
パノス・DP01
|
9
|
コスワース
|
HMS
|
STP
|
MOT1
|
LBH1 16
|
KAN
|
IND
|
MIL
|
TXS
|
IOW
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RIR
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WGL
|
NSH
|
MDO
|
EDM
|
KTY
|
SNM
|
DET
|
CHI
|
SRF2
|
45位
|
0
|
[2]
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¹ Run on same day
² エキシビジョンレースのため選手権ポイント対象外イベント。
脚注
関連項目
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チーム首脳※ | |
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主なスタッフ/関係者※ | |
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現在のドライバー | |
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F1車両 | |
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現在のPUサプライヤー | |
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現在のスポンサー | |
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元チーム関係者 |
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主なドライバー |
1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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※年代と順序はウィリアムズで初出走した時期に基づく。 ※ウィリアムズにおいて優勝したドライバーを中心に記載。太字はウィリアムズにおいてドライバーズワールドチャンピオンを獲得。斜体はウィリアムズにおいて優勝がないものの特筆されるドライバー。 |
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F2 | |
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プロトタイプ | |
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ラリー | |
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ツーリングカー | |
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タイトルスポンサー | |
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エンジンサプライヤー | |
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