中村 修(なかむら おさむ、1962年11月7日 - )は、将棋棋士。佐伯昌優九段門下。棋士番号は143。東京都町田市出身。昭和55年に四段に昇段(プロ入り)した強豪グループ、いわゆる「55年組」の一人。日本将棋連盟棋士会会長(2017年2月 - )、同女流棋士会監事(2015年6月 - )。
棋歴
プロデビュー前・デビュー直後
タイトル保持
- 1985年度、第47期棋聖戦でも米長に挑戦するが、0勝3敗のストレートで退けられた。しかし、棋聖戦のすぐ後に始まった第35期王将戦七番勝負で、1986年3月15日、当時の第一人者・中原誠三冠王から王将のタイトルを奪取して一躍注目された。初の挑戦者決定リーグ入りを果たし、リーグで5勝1敗の好成績を挙げて得た挑戦権だった。第13回将棋大賞で殊勲賞を受賞。当時、23歳で六段であったが、特例で七段昇段することとなった。なお、出だし3連勝の展開であったため、あわや「指し込み」が記録されるのではないかと話題になった[3](最終結果は4勝2敗1千日手)。
- 1986年度、第36期王将戦も、中原の挑戦を4勝2敗で退けて防衛。第5回全日本プロ将棋トーナメントでは準優勝(決勝で大内延介に敗れる)。第45期順位戦B級2組では8勝2敗の好成績でありながら3位(次点)となり、昇級を逃す。第14回将棋大賞の敢闘賞を受賞し、これで3年連続での将棋大賞受賞。ちなみに、このときの新人賞は中村より8歳若い羽生善治であり、それ以降、いわゆる「羽生世代」が徐々に台頭し、将棋界を席巻することとなる。
- 1987年度、第35期王座戦で挑戦者決定戦に進出するが、塚田泰明に敗れ王座挑戦成らず。第21回早指し将棋選手権でベスト4。第37回NHK杯戦で準優勝。破った相手は淡路仁茂、羽生善治、高橋道雄ら。決勝の相手は中原誠。第37期王将戦では、挑戦者の南芳一に3勝4敗で敗れ、王将のタイトルを奪われる。[[第46期順位戦]4B級2組では、終盤3連敗し、5勝5敗で終える。以降、なかなか昇級出来ずしばらくB級2組に留まることとなる。
タイトル失冠後
棋風
- 居飛車、振り飛車のどちらも指す。
- 他の棋士とは異なった新感覚の棋風で頭角を現してタイトル挑戦・奪取し、「不思議流」と呼ばれた。また、独特の守りの手が印象的であり「受ける青春」とも呼ばれている[7]。
- 王将保持時はひねり飛車も指していて、塚田スペシャルの先駆者でもあった[8]。
人物・エピソード
人物
順位戦における特徴・エピソード
- 順位戦ではデビューから2期連続昇級し、1983年4月1日に20歳で早くもB級2組昇級を果たすもののその後はなかなか抜け出せず、12期の足踏みの末にB級1組に昇級した。その後、B級2組降級と1組昇級を繰り返す。2012年からは12期連続でB級2組に留まり、2022年にはB級在籍棋士として還暦を迎えた。昭和後期から平成、令和にかけて40年以上に渡り「B級の番人」として多数の棋士の昇級・降級を見届けたことになる。
- B級2組での足踏みが続いたため20代、30代の頃には55年組の多くの棋士に先を越されることになったが、逆に40代以降になると55年組のC級陥落にも多く遭遇することになり、彼らの中では最後のB級在籍者となっている。
- 順位戦の出遅れにより、昇段も55年組の高橋、南芳一、塚田泰明に先を越され、九段昇段も彼らより後となった。同じく55年組の島朗よりは、やや早く九段に昇段した。
- タイトル在位歴があり、段位も九段の棋士としては珍しく、A級入りの経験がない[注釈 1]。
- 第81期順位戦B級2組8回戦の村山慈明との対局で、二歩により反則負けを喫した。
その他各棋戦における特徴・エピソード
- 1986年3月15日に23歳にして史上最年少王将となり、その記録は36年間も破られなかった。自身は意識してなく、2020年まで知らなかったという[13]。2022年2月12日、奇しくも自身が立会人を務めた第71期ALSOK杯王将戦七番勝負第4局で、19歳の藤井聡太が渡辺明に勝ち王将奪取となり、最年少王将の記録が更新された[14]。
- 竜王戦では5回の本戦進出を果たしている。しかし、ランキング戦の優勝はなく、各組での優勝者に贈呈されるメダルを獲得したことがない。2007年度(第20期)に3組に降級するまでは、竜王戦発足当初から1組と2組の間を行ったり来たりしていた。
- 1992年6月25日、棋聖戦の予選で、巨星・大山康晴にとっての最後の対局[注釈 2]の相手となった。大山とは6回対局し、この対局が唯一の勝利だった。当時の大山は既にかなり身体を悪くしていたが、逆転負けとなった時は凄く悔しそうにしていたと言う[8]。
- 羽生世代の台頭に55年組が影を潜めたのは、羽生世代と将棋に対する真剣度に差があったからと話していて、塚田も賛同している[8]。また、同じ55年組でも、高橋、南、島は羽生世代とタイトル戦を戦ってるので、戦ってもいない自分らと一緒にしてはいけないとも話している[8]。
将棋界での活動
その他エピソード
- 解説役を務めるときは、渋い表情のままユーモアのある発言をする。たまに駄洒落を言うときもあり、2002年度、第43期王位戦七番勝負第1局で谷川浩司が羽生善治に勝って通算1000勝を達成した当時、「囲碁・将棋ジャーナル」において‘1000勝で先勝’という発言をしている。
- クイズのような婉曲表現を好んで用いる。たとえば、夫人へのプロポーズの言葉は「4並びはどうですか?」であった(当時福島在住の夫人と電話している途中、お互い同じテレビ番組を見ていて、「平成3年の3並びの日の結婚」が話題としてたまたま取り上げられていた)。それがプロポーズの言葉であることには夫人は即座に気づかなかった[10]。また、1995年度の中村の抱負は、「九段昇段」であったが[20]、当時、中村は八段昇段後1年半しか経っておらず、また、順位戦もB級1組だったため、勝数規定(八段昇段後250勝)での昇段も名人位獲得に伴う昇段も不可能であった。つまり、通算3期目のタイトル獲得での昇段を狙うという意味だったのである。
- 1990年夏、郷田真隆、先崎学と共に函館へ旅行に行き、スナックにて女性に将棋盤について語り、「囲碁盤にはところどころに点(星)があるが、将棋盤にはない。」と話した。しかし、公式棋戦の対局で使われている将棋盤にも点はあり、郷田に「将棋盤にも点が4つありますよ。」と言われた。しかし、酒に酔っていることもあり、「絶対ない」と譲らなかった。先崎が羽生善治に電話で聞き、羽生が「あるんじゃないの?」と返答したが、それを聞いても譲らず、遂には「羽生時代もこれで終わった。」とまで発言した。ちなみに、羽生はその発言とは逆に、多くのタイトルを獲得して将棋界を席巻し始める頃だった[21]。電話でさらに仲間に聞いてみたところ、塚田泰明からは「間違いなくついている」と言われ、神谷広志からは「バカ、付いてるに決まってるだろう」と返された[22]。後日、将棋世界1990年10月号の自身の連載でこのエピソードについて触れ、「将棋指しとして自信を失う出来事があった」と評した[22][注釈 3]。同誌2013年8月号の塚田との対談でも取り上げられ、塚田に「ある」と答えられても執拗に「ない」と言い続けていたという。そして、ギャグの言い訳で一同の爆笑を誘った[8]。また、自分からも自虐ネタとしてこの話題を出すことがある[23]。
- 極度の近眼で、外国製の特注レンズの入ったメガネを使用している。やはり近眼だった先崎学は中村のことを、将棋界近眼番付の「横綱」と表現している。先崎が中村のメガネをかけてみたところ、何も見えなかったという[24]。
- 夫人との出会いは塚田らと共に行った福島テレビアナウンサーとの交流であり、その交流を提案していたのが、テレビ業界で顔の広い島朗である[8]。
- 中村のタイトル経験は第35期・第36期の王将2期であるが、弟子の香川愛生は第35期・第36期の女流王将2期を獲得している[25]。また、タイトル登場回数は、中村も香川も5回と同数(中村は王将3回、棋聖2回。香川は女流王将5回)である。
弟子
棋士となった弟子
名前 |
四段昇段日 |
段位、主な活躍
|
阿部光瑠 |
2011年4月1日
|
七段、棋戦優勝1回
|
上村亘 |
2012年10月1日
|
五段
|
(2022年1月28日現在)
女流棋士となった弟子
名前 |
女流2級昇級日 |
段位、主な活躍
|
香川愛生 |
2010年10月1日
|
女流四段、女流王将2期、A級在籍1期
|
(2024年7月1日現在)
昇段履歴
- 1976年12月01日 : 6級 = 奨励会入会
- 1976年12月01日 : 5級
- 1977年03月01日 : 4級
- 1977年05月01日 : 3級
- 1978年01月01日 : 2級
- 197年12月01日 : 1級
- 1978年06月01日 : 初段
- 1979年08月01日 : 二段
- 1980年03月01日 : 三段
- 1980年07月02日 : 四段 = プロ入り
- 1982年04月01日 : 五段(順位戦C級1組昇級、通算45勝24敗)
- 1983年04月01日 : 六段(順位戦B級2組昇級、通算73勝37敗)
- 1986年04月01日 : 七段(特別昇段 = 抜群の成績・王将位獲得、通算184勝98敗)
- 1993年10月15日 : 八段(勝数規定 /七段昇段後公式戦190勝、通算374勝237敗)
- 2008年01月23日 : 九段(勝数規定 /八段昇段後公式戦250勝、通算624勝485敗)[26]
主な成績
獲得タイトル
は2024年8月現在の在位。登場・連覇の 太字 は歴代最多記録。
他の棋士との比較は、タイトル獲得記録、将棋のタイトル在位者一覧を参照。
タイトル
|
獲得年度
|
登場
|
獲得期数
|
連覇
|
永世称号(備考)
|
竜王
|
-
|
0
|
|
|
-
|
名人
|
-
|
0
|
-
|
-
|
-
|
王位
|
-
|
0
|
-
|
-
|
-
|
叡王
|
-
|
0
|
-
|
-
|
-
|
王座
|
-
|
0
|
-
|
-
|
-
|
棋王
|
-
|
0
|
-
|
-
|
-
|
王将
|
1985-1986
|
3回
|
2期
|
2連覇
|
-
|
棋聖
|
-
|
2回
|
-
|
-
|
-
|
タイトル獲得 合計 2期 / 登場回数 合計5回
|
(1985年王将戦終了まで)
- タイトル戦登場
- 王将:3回(1985年度=第35期 - 1987年度)
- 棋聖:2回(1984年度後期=第45期、1985年度後期)
- 登場回数 合計 5回(1985年王将戦まで)
一般棋戦優勝
- 優勝合計1回
将棋大賞
- 第9回(1981年度) 新人賞
- 第12回(1984年度) 敢闘賞
- 第13回(1985年度) 殊勲賞
- 第14回(1986年度) 敢闘賞
珍記録
- 順位戦B級2組在籍 通算30期(第42期-第53期、第55期、第64期-第68期、第71期-第82期)
- 順位戦B級在籍 連続41期(第42期-第82期[注釈 4])
在籍クラス
年度別成績
公式棋戦成績
年度 |
対局数 |
勝数 |
負数 |
勝率 |
(出典)
|
1980
|
24 |
14 |
10 |
0.5833 |
[29]
|
1980 (小計)
|
24 |
14 |
10 |
|
|
年度 |
対局数 |
勝数 |
負数 |
勝率 |
(出典)
|
1981
|
45 |
31 |
14 |
0.6889 |
[30]
|
1982
|
41 |
28 |
13 |
0.6829 |
[31]
|
1983
|
46 |
29 |
17 |
0.6304 |
[32]
|
1984
|
60 |
38 |
22 |
0.6333 |
[33]
|
1985
|
66 |
44 |
22 |
0.6667 |
[34]
|
1986
|
45 |
26 |
19 |
0.5778 |
[35]
|
1987
|
43 |
21 |
22 |
0.4884 |
[36]
|
1988
|
43 |
24 |
19 |
0.5581 |
[37]
|
1989
|
47 |
25 |
22 |
0.5391 |
[38]
|
1990
|
47 |
27 |
20 |
0.5745 |
[39]
|
1981-1990 (小計)
|
482 |
293 |
189 |
|
|
年度 |
対局数 |
勝数 |
負数 |
勝率 |
(出典)
|
1991
|
44 |
26 |
18 |
0.5909 |
[40]
|
1992
|
34 |
24 |
10 |
0.7059 |
[41]
|
1993
|
44 |
28 |
16 |
0.6364 |
[42]
|
1994
|
36 |
20 |
16 |
0.5556 |
[43]
|
1995
|
28 |
12 |
16 |
0.4286 |
[44]
|
1996
|
44 |
31 |
13 |
0.7045 |
[45]
|
1997
|
40 |
21 |
19 |
0.5250 |
[46]
|
1998
|
45 |
24 |
21 |
0.5333 |
[47]
|
1999
|
28 |
10 |
18 |
0.3571 |
[48]
|
2000
|
36 |
19 |
17 |
0.5278 |
[49]
|
1991-2000 (小計)
|
379 |
215 |
164 |
|
|
年度 |
対局数 |
勝数 |
負数 |
勝率 |
(出典)
|
2001
|
41 |
17 |
24 |
0.4146 |
[50]
|
2002
|
32 |
18 |
14 |
0.5625 |
[51]
|
2003
|
39 |
15 |
24 |
0.3846 |
[52]
|
2004
|
27 |
10 |
17 |
0.3704 |
[53]
|
2005
|
38 |
19 |
19 |
0.5000 |
[54]
|
2006
|
27 |
10 |
17 |
0.3704 |
[55]
|
2007
|
28 |
16 |
12 |
0.5714 |
[56]
|
2008
|
24 |
11 |
13 |
0.4583 |
[57]
|
2009
|
23 |
12 |
11 |
0.5217 |
[58]
|
2010
|
30 |
14 |
16 |
0.4667 |
[59]
|
2001-2010 (小計)
|
309 |
142 |
167 |
|
|
年度 |
対局数 |
勝数 |
負数 |
勝率 |
(出典)
|
2011
|
33 |
15 |
18 |
0.4545 |
[60]
|
2012
|
37 |
16 |
21 |
0.4324 |
[61]
|
2013
|
29 |
14 |
15 |
0.4828 |
[62]
|
2014
|
32 |
16 |
16 |
0.5000 |
[63]
|
2015
|
27 |
10 |
17 |
0.3704 |
[64]
|
2016
|
38 |
22 |
16 |
0.5789 |
[65]
|
2017
|
26 |
9 |
17 |
0.3462 |
[66]
|
2018
|
28 |
8 |
20 |
0.2857 |
[67]
|
2019
|
29 |
12 |
17 |
0.4138 |
[68]
|
2020
|
27 |
13 |
14 |
0.4815 |
[69]
|
2011-2020 (小計)
|
306 |
135 |
171 |
|
|
年度 |
対局数 |
勝数 |
負数 |
勝率 |
(出典)
|
2021
|
27 |
11 |
16 |
0.4074 |
[70]
|
2022
|
33 |
13 |
20 |
0.3939 |
[71]
|
2023
|
24 |
6 |
18 |
0.2500 |
[72]
|
2021-2023 (小計)
|
84 |
30 |
54 |
|
|
通算
|
1588 |
829 |
756 |
0.5230 |
[73]
|
2023年度まで
|
表彰
- 2005年11月21日 - 現役勤続25年表彰[74]
- 2006年03月10日 - 将棋栄誉賞(通算600勝達成=史上31人目、通算1061局/ 600勝461敗/ 勝率0.566)[75]
- 2021年06月09日 - 将棋栄誉敢闘賞(通算800勝達成=史上24人目、通算1503局/ 800勝703敗/ 勝率0.5322)[76]
著書
脚注
注釈
- ^ 同じ立場の現役棋士では他に、福崎文吾。逆に、A級在位歴・竜王戦1組在籍歴があるものの、タイトル戦登場および挑戦者決定戦も経験が無い棋士としては井上慶太がいる。
- ^ 約1か月後の1992年7月26日、大山はA級在籍のまま死去。
- ^ 囲碁では9か所の点(星)がはっきり意識される点であるが、将棋では4つの点が対局者にほとんど意識されていない。中村もそれで点がないような気がしていたと出典の連載で述べている。実際に、解説で使われている大盤や、書籍に掲載されている対局の局面図などは、点がつけられていないものが多い。当時は先崎にとっても点があるかどうかがあやふやであり、後に出典の書籍で「ひっそりと存在している」と言う意味の表現をしている。
- ^ ここではB級1組か2組のいずれかへの在籍を指す。
出典
関連項目
外部リンク
日本将棋連盟所属棋士 ( 現役棋士 および 2024年度引退棋士) |
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タイトル 保持者 【九段 6名】 【七段 1名】 |
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九段 【26名】 | |
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八段 【33名】 | |
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七段 【44名】 | |
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六段 【27名】 | |
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五段 【20名】 | |
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四段 【15名】 | |
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2024年度 引退棋士 |
- 九段 青野照市(2024年6月13日引退)
- 八段 室岡克彦(2024年6月18日引退)
- 八段 中座真(2024年6月19日引退)
- 七段 伊奈祐介(2024年5月10日引退)
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現役棋士 全172名(2024年7月23日時点、日本将棋連盟所属) / △は2024年度の昇段 / 引退棋士の()は引退日 / 詳細は将棋棋士一覧を参照 |
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竜王 | |
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1組 (定員16名) | |
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2組 (定員16名) | |
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3組 (定員16名) | |
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4組 (定員32名) | |
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5組 (定員32名) | |
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6組 (参加70名) |
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★挑戦者 / △次期昇級 / ▼次期降級 / 初 初参加棋士(棋士として初参加) / 詳細については将棋棋士の在籍クラスを参照。 |
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名人 | |
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A級 | |
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B級1組 | |
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B級2組 | |
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C級1組 | |
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C級2組 | |
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フリー クラス
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| 宣言 | |
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棋戦限定 出場 | |
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2024年度 引退者 |
- 伊奈祐介(2024年05月10日 引退)
- 青野照市(2024年06月13日 引退)
- 室岡克彦(2024年06月18日 引退)
- 中座真(2024年06月19日 引退)
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先頭の数字は順位(名人、フリークラス以外)/ フリークラスの数字は在籍可能残り年数(2024年度開始時点) B級2組 - C級2組の * は降級点の数(B級2組・C級1組は降級点 2で降級、C級2組は降級点 3で降級) 詳細については将棋棋士の在籍クラスを参照 |
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将棋大賞 |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
---|
1990年代 | |
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2000年代 | |
---|
第32回(2005年)で廃止。前年度の活躍が対象。 |
|
---|
1970年代 | |
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
第32回(2005年)で廃止、第33回(2006年)より新たな敢闘賞を創設。前年度の活躍が対象。 |
|
---|
1970年代 | |
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
2010年代 | |
---|
2020年代 | |
---|
前年度の活躍が対象 |
|
- ^ 天使の脇息@olb52ow00eP05RZ(中村修)