2002年日本グランプリ(XXVIII Fuji Television Japanese Grand Prix)は、2002年F1世界選手権の第17戦として、2002年10月13日に鈴鹿サーキットで開催された。
予選
予選開始35分過ぎ、アラン・マクニッシュ(トヨタ)が130R出口でスピンしてタイヤバリアに激突し、さらに外側のガードレールも突き破るという大クラッシュが発生した。ドライバーに怪我はなかったものの予選は赤旗中断となり、ガードレールを交換・修復するため再開まで1時間15分を要した。
最終的にミハエル・シューマッハ(フェラーリ)が通算50回目のポールポジション獲得。日本GPでは1998年から5年連続となる。上位グリッドはフェラーリ、マクラーレン、ウィリアムズ、ジョーダンの順に2台ずつマシンが並んだ。
鈴鹿サーキットレーシングスクール (SRS-F) 出身者である佐藤琢磨(ジョーダン)は今季自己ベストの7番グリッドを獲得。ホンダエンジンユーザー勢では最上位のポジションからスタートする。
なお、予選107%ルールはこのレースを最後に廃止されたが、2011年シーズンに復活することとなる。
予選結果
決勝
前日の予選で大クラッシュを喫したマクニッシュは朝のフリー走行に出走したものの、医師からドクターストップがかかり決勝レースを断念した。トヨタとの契約終了が決まっているマクニッシュは、結果的に自身最後となるグランプリをふいにした。
スタートでは上位が順当なスタートを切り、フロントローのフェラーリ2台が後続を置き去りにして独走態勢に入る。レース序盤、3位クルサードがスローダウンしピットに戻ってリタイア。パニス(BAR)も燃料系トラブルでピットインを繰り返したのちリタイアした。佐藤はルノーの2台に追い上げられながらも6位をキープ。後方ではフィジケラ(ジョーダン)、サロ(トヨタ)、ヴィルヌーヴ (BAR) が10位を争う。佐藤は最初のピットストップでルノー勢に逆転され8位に後退した。
その後もマシントラブルによるリタイアが続く。27周目、ヴィルヌーヴが最終コーナーでエンジンブローしBARチームは全滅となった。32周目には6位のトゥルーリ(ルノー)、38周目にはフィジケラがエンジンブローでリタイア。フィジケラはスタート前にもブローして佐藤のTカーに乗り換えており、この日ホンダエンジンは相次ぐトラブルに見舞われた。レース残り5周、3位ラルフ・シューマッハ(ウィリアムズ)のBMWエンジンもブローし、ライコネン(マクラーレン)が表彰台圏内に浮上した。
他チームの混乱をよそにフェラーリは終始危なげないレース運びをみせ、圧勝のシーズンを5戦連続ワンツーフィニッシュ(今季9回目)で締め括った。年間15勝は1988年シーズンのマクラーレン・ホンダに並ぶ(当時は16戦)。ミハエル・シューマッハはシーズン全戦表彰台に立ち、年間最多勝利記録を11に伸ばした。フェラーリが履くブリヂストンタイヤはF1参戦100戦目で70勝に達した。
佐藤は2回目のピットインでバトン(ルノー)との順位を再逆転し、地元観客の大歓声の中で自身F1初入賞となる5位フィニッシュを果たした。日本人選手の入賞は中野信治(1997年ハンガリーGP)以来5年ぶり。佐藤が稼いだ2ポイントにより、ジョーダンはジャガーとBARを抜いてコンストラクターズランキング6位に浮上した(ジョーダン9点.ジャガー8点、BAR7点)。
決勝結果
最終ランキング
- ドライバーズ・チャンピオンシップ
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- コンストラクターズ・チャンピオンシップ
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- 注:ドライバー、コンストラクター共にトップ5のみ表示。
参照
座標: 北緯34度50分35秒 東経136度32分26秒 / 北緯34.84306度 東経136.54056度 / 34.84306; 136.54056