2009年マレーシアグランプリは、2009年F1世界選手権第2戦として、2009年4月5日にセパン・インターナショナル・サーキットで開催された。正式名称は2009 FORMULA 1 Petronas Malaysian Grand Prix。
開催前
マクラーレンのみがオーストラリアGPで使用したエンジンを搭載した[1]。
予選
金曜日のフリー走行2後にブラウンGPのルーベンス・バリチェロはギヤボックスを交換したため、決勝の5グリッド降格が確定している[2]。また、前戦のオーストラリアGPでのロバート・クビサと接触・クラッシュしたセバスチャン・ベッテルは10グリッド降格ペナルティ[3]を受けている。
展開
気温30度、路面温度40度、湿度76%の条件下で予選がスタート[4]。
Q1
開始後まず中嶋一貴がターゲットタイムを記録した後、チームメイトのニコ・ロズベルグがトップタイムをマークする。そして開幕戦と同じく、ブラウンGPのジェンソン・バトンがここでトップタイムを記録する。そのままの状態で時間が経過していくが、残り2分30秒となった所でピケ以外の全車がコース上に出て、最後のアタックを行う。
最終的に、バリチェロがトップタイムを記録。フェリペ・マッサは現在のタイムでQ1を通過できると考え、再度アタックを行わなかったが、後からアタックしたマシンに次々にタイムを上回られ、16番手でQ1敗退。その他、ネルソン・ピケ、フォース・インディアの2台、セバスチャン・ブエミが脱落した。
Q2
気温30度、路面温度33度、湿度78%[5]。
まもなく雨が降る可能性もあったためか、開始3分ですでに10台の車が走行している。
Q1と同じく、まず中嶋がターゲットタイムとなる1'35.118をマークする。各車ソフトタイヤでアタックを敢行する中、ブラウンGPの2台はハードタイヤでアタックを開始、バトンがトップタイムをマークする。その後、バリチェロとトヨタのヤルノ・トゥルーリがタイムを更新した。そして、残り5分の時点でようやくバトンとバリチェロはソフトタイヤに交換、タイムアタックを再開する。残り1分となった時にバトンがトップタイムをマーク。2位のトゥルーリに0.5秒差をつけてセッションは終了した。
BMWのニック・ハイドフェルド、中嶋、マクラーレンの2台、セバスチャン・ブルデーがQ2で脱落した。
Q3
気温30度、路面温度36度、湿度79%[6]。
このセッションでもブラウンGPは速かった。セッション終了1分前までトゥルーリがトップタイムだったが、バトンに更新された。また、レッドブル・レーシングのベッテルが3位に、バリチェロが4位、トヨタのティモ・グロックが5位となった。
前述のペナルティの結果、決勝グリッドは、バトン、トゥルーリ、グロック、ロズベルグ・・・・となり、トヨタ勢が2・3位を獲得した。
結果
- 太字は各セッションでのトップタイム
- Car No.15は前戦のペナルティにより10グリッド降格ペナルティ
- Car No.23はギアボックス交換により5グリッド降格ペナルティ
決勝
展開
決勝スタート時は、気温30度、路面温度38度、湿度75%のドライコンディション[7]。
スタートは、フロントローのバトンとトゥルーリが遅れ、さらにBMWザウバーのロバート・クビサもエンジンのトラブルで遅れ、結局リタイヤ。一方、ロズベルグ、バリチェロ、KERSを搭載するルノーのフェルナンド・アロンソが順位を上げる。1コーナーはロズベルグが1位、トゥルーリが2位と続いた。アロンソは9番グリッドから一気に3番手まで順位を上げるも、ブラウンの2台にかわされた。
序盤はロズベルグ、トゥルーリ、バトン、バリチェロの上位4台で周回し、その後方でアロンソ、ライコネン、マーク・ウェバーがそれぞれ接近戦を展開。ヘイキ・コバライネンはコースアウトし、第1戦に続き1周目でのリタイアとなった。
5周目時点の公式の天気予報では、10分後(11周目ごろ)に雨が降ると予想された。
アロンソのペースが上がらないため、上位4台と5番手以降の差がみるみる広がった。11周目にライコネンが、13周目にウェバーがアロンソをオーバーテイクするも、前の4台とのギャップは大きい。上位は3番手のバトンがトゥルーリに迫っていった。
13周目にベッテルが最初の通常ピットイン。各チームも続くが、ほとんどのマシンがドライタイヤでピットアウトした。その中でフェラーリは、このあとすぐに雨が降ると予想し、5番手のライコネンのタイヤを深溝のウェットタイヤに変更。しかし、予想は外れ、しばらく雨は降らず、順位を落としていった。上位はロズベルグ、トゥルーリ、バトン、バリチェロの順にピットインした。バトンがピットイン前にペースを上げ、順位はバトン、ロズベルグ、トゥルーリ、バリチェロとなった。
上位勢が23周目に入るころから徐々に雨が降り始め、各マシン一斉にピットへ向かい、ウェットタイヤを装着。しかし、ウェットタイヤを使うには雨脚は弱く、その中でただひとり浅溝のインターミディエイトタイヤを履いていたグロックが大きく順位を上げる。その後、26周目にベッテルがインターミディエイトに履き替えた。これに続くマシンが出るも、直後に雷を伴う豪雨がサーキットを襲い、再びウェットタイヤへの変更を余儀なくされた。この混乱の中、ほとんどのマシンが3回以上ピットインを行なったが、唯一1度だけのピットインで済ませていたハイドフェルドが2番手に浮上。
雨は激しく降り続き、32周目で安全のためセーフティカーが導入されるが、33周目で赤旗が振られレースが中断された。40分以上様子を見たが、このままレース終了となった。
セーフティカーが入る前の31周終了時点の順位でレースが確定し、終わってみればバトンが2戦連続のポール・トゥ・ウィンで通算3勝目を挙げた。ブラウンGPにとっては、F1が始まった初年度の1950年のアルファ・ロメオ以来のデビュー以来2戦連続優勝。ハイドフェルドが2位、グロックが3位で昨年のハンガリーGP以来自身2度目の表彰台。トヨタも2戦連続で表彰台を獲得した。トゥルーリが4位で入賞を果たした。なお、規定周回数の75%未満だったため、各ドライバーの獲得ポイントは半分となった。これは1991年オーストラリアGP以来18年ぶり5回目の出来事だった。
結果
- 33周目に赤旗中断・終了となったため、規定により31周目の順位が正式結果となる。
- 規定周回数の75%に達していないため、ハーフポイントとなる。
脚注
外部リンク