2006年トルコグランプリ (II Petrol Ofisi Turkish Grand Prix) は、2006年F1世界選手権の第14戦として、2006年8月27日にイスタンブール・パークで開催された。
概要
BMWザウバーは金曜日のプラクティスに19歳のセバスチャン・ベッテルをテストドライバーとして出走させた。ベッテルはこのセッションでベストタイムを記録した。
フェラーリのフェリペ・マッサが初のポールポジションを獲得し、レースもポール・トゥ・ウィンで初優勝した。前戦のハンガリーでジェンソン・バトンが勝利し、2戦連続で優勝者がそのキャリアにおける初勝利を達成したレースとなった。このように2戦連続初勝利というのは2003年シーズンのマレーシアにおけるキミ・ライコネン、ブラジルにおけるジャンカルロ・フィジケラ以来のものであった。
チャンピオン争いではアロンソが2位となり、3位のシューマッハとのポイント差を広げた。レース序盤はマッサ、シューマッハ、アロンソの順で走行していたが、セーフティーカー導入時にマッサとシューマッハを同時にピットインさせたフェラーリの判断が凶と出た。シューマッハはマッサの作業が終わるまで待たされ、その間にアロンソが順位を逆転した。
勝者マッサが北キプロス・トルコ共和国大統領メフメト・アリ・タラートから優勝トロフィーを受け取ったことで、論争が引き起こされた。北キプロス・トルコ共和国はトルコのみが承認している。キプロス共和国政府はFIAに公式に提訴した。FIAは事件調査の後、2006年9月19日にグランプリオーガナイザーに対して500万ドルの罰金を科した[1]。
金曜出走ドライバー
予選結果
From [2]:
*:ラルフ・シューマッハとクリスチャン・アルバースの両名はエンジン交換のため10位降格のペナルティが科された。従ってラルフは15番手、アルバースは22番手スタートとなった。
決勝
展開
オープニングラップでフィジケラがスピン、後方で接触事故がおこりライコネンやスピード、佐藤、モンテイロらがそのあおりを食うかたちとなったが、その場でリタイヤとなったのはモンテイロのみであった。しかしライコネンは翌周にリタイヤ、佐藤も長い時間ピットガレージの中で過ごすことになるが、スーパーアグリの新パーツのデータを取るためにリタイヤを選択せず、10数周遅れでサーキットに再度送り出された。
レースは12周目に大きく動いた。リウッツィがスピンしコース上に止まってしまう。これによりセーフティカーが導入され、各車がピットインする。フェラーリはマッサとシューマッハの両名がピットインすることになるが、シューマッハはマッサの後ろで待たされることになってしまう。このすきにアロンソが2位に順位を上げた。
その後はロズベルグのトラブル、アルバース(入賞圏内直前までポジションを上げていた)のクラッシュなどがあったが、上位勢の順位に大きな変動はなく、シューマッハは2度目のピットインでもアロンソの前に出ることはできず、最後0.1秒差まで差を詰めるものの、アロンソを上回ることはできず、ドライバーズチャンピオンシップとの差をさらに詰めることはできなかった。
その一方でマッサは67戦目での初優勝をポール・トゥ・ウィンで飾った。これによりルノーとのコンストラクターズポイント差を詰めることに成功した。
その後方では前戦のウィナー、バトンが4位でフィニッシュ。バリチェロも8位に入りホンダ勢はダブル入賞となった。前レースで初の表彰台に上がったデ・ラ・ロサも1ストップ作戦を上手く成功させ5位。6位はフィジケラ、7位はラルフ・シューマッハだった。
結果
From [3]:
レース後
表彰式で大きな問題が発生した。優勝したマッサに優勝トロフィを手渡したのは北キプロス・トルコ共和国大統領のメフメト・アリ・タラートであったが、北キプロス・トルコ共和国はトルコしか国家承認していない国である。レース後FIAは「政治的中立性が損なわれたことは容認できない」とし、8月29日までに調査を開始。9月19日までにFIAはトルコ国内協議委員会(TOSFED)、トルコGP主催者(MSO)に対し500万ドル(5億8790万円、当時)の罰金を科した[4]。
第14戦終了時点でのランキング
- ドライバーズ・チャンピオンシップ
[3]
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- コンストラクターズ・チャンピオンシップ
[3]
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参照
外部リンク
座標: 北緯40度57分20.5秒 東経29度24分29.7秒 / 北緯40.955694度 東経29.408250度 / 40.955694; 29.408250