東宝
東宝株式会社(とうほう、英: TOHO CO., LTD.[3])は、東京都千代田区有楽町(日比谷地区)の東宝日比谷ビルに本…
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東宝日比谷ビル(2018年4月30日撮影) | |
| 種類 | 株式会社 |
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| 機関設計 | 監査等委員会設置会社[1] |
| 市場情報 |
大証1部(廃止) 9602
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| 本社所在地 |
〒100-8415 東京都千代田区有楽町一丁目2番2号 東宝日比谷ビル10階から12階 北緯35度40分23.0秒 東経139度45分35.8秒 / 北緯35.673056度 東経139.759944度座標: 北緯35度40分23.0秒 東経139度45分35.8秒 / 北緯35.673056度 東経139.759944度 |
| 設立 |
1932年(昭和7年)8月12日 (株式会社東京宝塚劇場) |
| 業種 | 情報・通信業 |
| 法人番号 | 3010001008708 |
| 事業内容 |
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| 代表者 | |
| 資本金 |
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| 発行済株式総数 |
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| 売上高 |
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| 営業利益 |
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| 経常利益 |
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| 純利益 |
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| 純資産 |
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| 総資産 |
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| 従業員数 |
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| 決算期 | 2月末日 |
| 会計監査人 | 有限責任監査法人トーマツ[2] |
| 主要株主 |
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| 主要子会社 | 「阪急阪神東宝グループ#東宝グループ」参照 |
| 関係する人物 | |
| 外部リンク |
www |
東宝株式会社(とうほう、英: TOHO CO., LTD.[3])は、東京都千代田区有楽町(日比谷地区)の東宝日比谷ビルに本社を置く、映画・演劇の製作配給・興行や不動産業を行う阪急阪神東宝グループの企業。松竹・東映とともに日本の映画会社「御三家」と呼ばれ[4]、3社の中では連結売上高は最大規模。2つの直営演劇劇場(帝国劇場・新館シアタークリエ)を保有する。
阪急阪神ホールディングス(大阪府大阪市北区)の持分法適用関連会社である。阪急阪神ホールディングス(阪急電鉄・阪神電気鉄道)、エイチ・ツー・オー リテイリング(阪急阪神百貨店/阪急百貨店・阪神百貨店)とともに、阪急阪神東宝グループ(旧・阪急東宝グループ)の中核企業である。日経平均株価およびJPX日経インデックス400の構成銘柄の一つ[5][6]。
他の阪急阪神東宝グループ同様に、旧三和銀行(現在の三菱UFJ銀行)を中核とした三和グループのメンバーであるが、阪急阪神ホールディングスと異なり、三水会(水曜会)には参加せず、阪急電鉄、阪急阪神百貨店、阪急阪神ホテルズ、阪急阪神不動産と共にみどり会のみに参加している[7]。
歴史
発足と急成長
1932年(昭和7年)8月に阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)及び宝塚歌劇団の創業者である小林一三(松岡宏泰代表取締役社長の曽祖父)によって、演劇、映画の興行を主たる目的として東京・日比谷に株式会社東京宝塚劇場を設立。1934年(昭和9年)に東京宝塚劇場を開場の後、有楽座、日本劇場、帝国劇場を所有することで日比谷一帯を傘下に納め、浅草を手中に収める松竹とともに東京の興行界を二分するに至る。なお、その名前の由来は「東京宝塚」の略である。
一方、会社設立前年に創設された、トーキーシステムの開発を行う写真化学研究所(Photo Chemical Laboratory、通称 PCL)は、1937年(昭和12年)関連会社JOと合併し、東宝映画となる[8][9]。1943年(昭和18年)8月30日、東宝映画を合併し、映画の製作・配給・興行および演劇興行の一貫経営に乗り出し、同年12月10日に社名を東宝と改めた[10][11][注釈 1]。小林一三は映画が大嫌いで[12]、映画製作なんてバカなことはないという考えを持っていたが[12]、東宝を世の中に、自身の名声を映画界に現すためにはやはりマークの入った映画を作らなければならないだろうと、損だけどやろうと映画の製作を決めた[12]。PCLには大日本麦酒なども出資しており[注釈 2]、東宝は発足当初から、従来の市井の興行師からスタートした映画会社とは一線を画する、財界肝いりの近代企業として期待と注目、そして反発を集めた。
1940年(昭和15年)10月1日、東宝系の全劇団は東宝国民演劇団移動隊に発展的解消。古川ロッパ、エノケン、東宝舞踏隊、東宝名人会などがそれぞれ移動演劇班を結成して、地方の農山漁村や工場にも巡回することとなった。宝塚歌劇団は宝塚音楽奉仕隊として健全な娯楽を提供するとともに、忙しい時には勤労奉仕も行う体制を採った[13]。第二次世界大戦に突入すると東京宝塚劇場と日本劇場は風船爆弾工場となり、戦後は東京宝塚劇場が進駐軍専用のアーニー・パイル劇場と改名され、10年間観客としての日本人が立入禁止となるなど、歴史の証人を演ずることになる。
林長二郎事件
東宝は設立時、天下の二枚目こと松竹の林長二郎をはじめ、多くのスターを驚くほどの高給で他社から引き抜いた。
1937年11月12日、長二郎が、左顔面を耳下から鼻の下にかけて斜めに切りつけられ、骨膜に達する重傷を負う。犯人のヤクザ松本常保[注釈 3]は、同年秋、長二郎が松竹から東宝に移籍したことから、松竹系の新興キネマ京都撮影所長の永田雅一らに教唆され、犯行におよんだものと判明した。
松本はこの事件で実刑を受けたが、後に刊行した自伝「みなさんありがとう」において「犯行に荷担していない」と表明している。事件後、長二郎はこの名を松竹に返し、本名の長谷川一夫を名乗るようになった。
プロデューサーシステム
東宝の資本とPCLの技術の上に映画の興行面で変化をもたらしたのは、製作における予算と人的資源の管理を行うプロデューサー・システムの本格的導入であり、これをもたらしたのがアメリカ帰りの森岩雄とされる[14][15][16]。松竹の城戸四郎、日活の根岸寛一と並び称される森だが、この分野における足跡は大きい。
東宝はPCL時代より民主的な社風で知られ[17]、監督や大スターでも個室がなく、大物に対しても「さん」付けや「ちゃん」付けであった。巨匠監督も部下の助監督や名もない俳優を「さん」付けや「ちゃん」付けで呼んだ。また東宝は他の映画会社のヤクザっぽい親方子方気質や歌舞伎の因習を引きずった封建的な体質を公然と批判し、他社のようにスタッフや俳優を縁故採用に頼るのではなく、公募を戦前より行い優秀な人材を得た。しかし獲得した優秀な人材は戦後の東宝争議の中心メンバーとなったため、後に縁故採用を強化し権力に逆らわない人材を入れる傾向に変わっていった。
東宝争議とその後の混乱
1946年(昭和21年)から1950年(昭和25年)にかけて経営者と労働組合の対立が激化し、そんな最中、1948年(昭和23年)3月4日に本社を東宝文芸ビルに移転。だが同年6月1日には撮影所を占拠した組合員を排除するため、警視庁予備隊、果ては占領軍の戦車や戦闘機まで出動する騒ぎになる。これが「来なかったのは軍艦だけ」と言われた東宝争議である[18][14][19][17]。
この間、大河内伝次郎、長谷川一夫、入江たか子、山田五十鈴、藤田進、黒川弥太郎、原節子、高峰秀子、山根寿子、花井蘭子の十大スターが結成した十人の旗の会と、反左翼の渡辺邦男をはじめとする有名監督の大半は、1948年4月26日に第三組合によって設立された新東宝(4月26日には系列会社・国際放映も設立)で活動することになる[18][19]。そのため東宝は再建不能と言われ、1949年3月15日に映画制作は新東宝に任せ、東宝は配給部門のみ受け持つ方針が真剣に協議されたこともあった。
大スターや大監督がごっそり辞めたことで、入社したての三船敏郎らがすぐに主役として抜擢され、若い監督も活躍の場を得やすい状況になった。残留組イコール左翼的という単純な色分けはできないが、共産党員の多くは放逐され、新東宝はまもなく東宝と絶縁して独立会社となったため、比較的リベラルだが政治には深入りしなかった人材が多く残ることになる。新東宝は独立後、文芸映画路線が不振で経営がすぐに悪化、新社長に迎えた大蔵貢の低予算通俗映画路線で一時的に持ち直したものの、1961年(昭和36年)倒産[20]。市川崑など一部のスターや監督はそれより遥か以前、完全独立の前後に東宝に復帰していた[注釈 4]。
日本映画黄金時代
1950年代に迎えた日本映画の黄金時代に際し、1957年からは「東宝スコープ」を採用し、『七人の侍』(1954年)や『隠し砦の三悪人』(1958年)などの黒澤明作品や『ゴジラ』(1954年)や『モスラ』(1961年)などの円谷英二による特撮作品を始めとする諸作品によって隆盛を極め[21][22]、映画の斜陽化が始まった1960年代にもクレージー映画や若大将シリーズでヒットを飛ばす。また、社長シリーズや駅前シリーズ[注釈 5]など安定したプログラムピクチャーの路線を持っていたことも強みであった。財界優良企業らしく健全な市民色、モダニズムを鮮明な作品カラーとし、日本映画が暴力、猟奇、エロティシズムに傾斜していく中でも東宝はそれらの路線とは一線を画し、距離を置いた。上記のシリーズ物が定着する前は現代アクション物も得意とし、後年も『殺人狂時代』(1967年)、『100発100中』(1965年)などの異色作に名残を残す。これらは興行的には伸びなかったが、その後の再上映でカルト的な人気を誇った。
1959年(昭和34年)にはニッポン放送、文化放送、松竹、大映と共にフジテレビを開局。社内にもテレビ部を設置してテレビ映画制作を開始するなど、テレビにも本格的に進出する[23]。
映画製作部門の大幅縮小
1960年代から映画は斜陽産業と言われるようになり、東宝も顕著な観客減少に悩んでいたが、大規模な量産体制を他社と共に保っていた。しかしカラーテレビの普及が本格化した1970年代になると観客減少はさらに深刻な状況となり、大映は倒産、日活はポルノ路線に転向し五社協定が終焉する[24]。東宝映画の製作費は一本約7000万円かかっていた[12]。東宝もこの危機を脱するため、前述の東宝四大喜劇シリーズを全て終了するなど1972年(昭和47年)に本社での映画製作を停止し、製作部門を分離独立させて発足した「東宝映像」(現在の東宝映像美術、設立1971年、社長田中友幸)[25]と傍系会社の「東京映画」(のちの東京映画新社、設立1983年、社長川上流一)、「東宝映画」(設立1971年、社長藤本真澄)、新たに設立した製作会社「芸苑社」(設立1972年、社長佐藤一郎)、「青灯社」(社長堀場伸世)を5つの核とした製作体制に切り替えた[4][26][27][28]。当時邦画五社では、ヤクザ路線の東映がトップの業績を維持しており[12][29][30]、ヒットシリーズを欠き始めた東宝は比較的、製作分離がしやすかった[30]。結果的にこの製作分離は、後年各映画会社の足かせになった本社主導の製作コスト減を実現し[30]、東宝はこの時点から配給主体の会社として、他社作品の受け入れを強化した[30]。藤本真澄は実施理由について「他社のような首切りをしないでやろういう形」と述べている[4]。当時のATG社長・井関種雄は、映画誌のインタビューで「東宝の製作分離が成功したら、東映の岡田君はやらないと思うけど、松竹は追随するのではないか」[12]「小林一三遺産を食って、それを減らさないように一生懸命やっているのが今の東宝」などと述べていた[12]。しかし、東宝映画が年に数本、芸苑社と東宝映像が年1、2本しか稼働せず、外部からの買取作品・委託引受け作品の配給に力を入れ、自社の興行網を維持する形に転換する。
1973年に新設された営業本部長に松岡功が就任[31]。『忍ぶ糸』『青春の門』(製作延期)、『日本侠花伝』『人間革命』『化石の森』『華麗なる一族』『日本沈没』の大作攻勢を七大作品と名付けて背水の陣を組み[31]、それも巨額の製作費を要するものばかりで、失敗したら映画製作を止めるのではないかと噂されたが[31]、ヒット大ヒット続出で、一時の不振から脱した[29]。これをきっかけとしてそれまで東宝の映画製作を牽引してきた藤本真澄の立場がつらいものになった[31]。
本社での映画製作を停止した後は、映画配給や不動産部門、連結子会社である東宝芸能へ軸足を移しながら経営の合理化を進めた。ただし阪急グループとしてのイメージや、駅から近い一等地に座席数の多い一流映画館を多く持つため、同業他社のようなポルノ映画やヤクザ映画については製作されず、配給も少なかった。1969年(昭和44年)から1978年(昭和53年)にかけて、東宝チャンピオンまつりとして子供向け映画を上映した[26][28]。しかし予算的には非常にタイトとなり、評価の高い山本迪夫監督の怪奇映画の多くは2本同撮で作られており、ゴジラシリーズでは音楽や着ぐるみの使い回しが多用されるようになった。
映画製作本数が減った分、テレビ部の奮闘が目立つようになり、『太陽にほえろ!』(1972年 - 1986年)、『俺たちは天使だ!』(1979年)などがヒット。テレビ作品の収録は1970年代までは砧撮影所は使用せずに国際放映や円谷プロダクションを制作協力のクレジットで孫受け発注した[32]。スタジオを持たない円谷プロの場合は東京美術センターなどの傍系スタジオを使用した。東宝配給の劇場映画も実際は大映京都撮影所(勝プロダクション作品など)や日活撮影所(石原プロモーション、ホリプロ作品など)で製作するものが増えた[注釈 6]ため、砧撮影所は急速に稼働率が低下、人員も離散した。1977年には、ベテランの映画監督である岡本喜八と堀川弘通を解雇した。
それでも1980年代半ばまでは、東宝シンデレラコンテスト出身者や東宝芸能に所属し人気アイドルとなった斉藤由貴や沢口靖子主演のアイドル映画を東宝映画が製作するなど、独立プロダクション程度の活動は継続。この時期からはアニメーションの製作にも関与するようになる。
後の東宝一人勝ちの大きな要因として、歴史的に見れば1970年代始めの製作分離の次に大きかったのは1980年3月15日公開のドラえもん映画第1作『ドラえもん のび太の恐竜』の大ヒット[30]。この年、東宝は初めて年間配収100億円を記録[30]。毎年、ドラえもん映画のヒットが確実になったため、東宝は他の番組の編成により力を注ぐことが可能となり、ドラえもんのノウハウは、別のアニメの発掘に繋がった[30]。
また1988年に東宝は『火垂るの墓と』『となりのトトロ』の二本立てで、初めてジブリ作品を配給したが[30]、配収5億円少しでとてもヒットとはいえなかった[30]。翌年の『魔女の宅急便』は配給が東映に移り、大ヒット[30]。製作の徳間康快と岡田茂とは"刎頸の友"と言われるほど仲がいいため[33]、このまま宮崎アニメは東映配給が続くのかと思われたが、再び『おもひでぽろぽろ』が東宝の配給になり、東宝とジブリの紐帯は以降、盤石なものとなっていく[30]。ジブリ作品を巡る東映対東宝の戦いでは、東宝が勝利した[30]。
またフジテレビの映画製作は1969年の『御用金』からだが、当時は弱小だったテレビ局フジテレビと東宝が組んだことで、その後の『南極物語』や『子猫物語』『踊る大捜査線 THE MOVIE』などに繋がっていく[30]。
この後バブル景気となり、日劇、渋谷東宝会館、日比谷映画劇場、有楽座、梅田劇場、北野劇場などが建て替えられ映画興業以外もおこなう複合施設となり、資産価値を増加させた。
1990年代以降
1990年代に入ると、自社(株式会社東宝映画)での邦画製作は「ゴジラ シリーズ」を除き行われなくなり、主にテレビ局[注釈 7]や外部プロダクションが製作した映画を配給し、成功を収めた。
2000年以降は、ワーナー・マイカル・シネマズが優位に立っていたシネコン市場に本格的に参入し、2003年のヴァージン・シネマズ・ジャパン株式会社(現・TOHOシネマズ株式会社)の買収で[34]、グループ企業のスクリーン数では第1位を誇っていた[注釈 8]。
その後も日本映画界や興行界に不動の地歩を占め続け、現在に至っている。製作会社(テレビ局が多い)も大予算をかけた自信作は興行に強い東宝へ配給委託し、それがまた数字を積み上げるという好循環が重なった結果、平成期以降は一人勝ち状態が定着、21世紀にはさらに独走の幅を広げた。1980年代前半までライバルとして競り合ってきた東映や松竹[注釈 9]とも、今では大差を出している。
また、かつて映画館用地として購入した全国の一等地の物件の賃貸を中心とする不動産事業も、営業利益のうち約4割を占め、地味ではあるが、業績を下支えする安定した重要な事業になっている[35]。
なお同社は大手映画会社としては唯一撮影所出身の社長が存在しなかったが[注釈 10]、2002年に初のプロデューサー経験者[注釈 11]として高井英幸が社長に就任した。
近年は、東宝本体で製作委員会に参加するなど、映画製作において積極的な姿勢をとっている。また砧撮影所の空洞化や技術伝承の中断に危機感を持ってレンタル展開を積極化。単独出資での「東宝映画」はほぼ絶えたものの、製作参加・配給・撮影所供給といった形で東宝カラーを打ち出し、守る方向が試されつつある。
2013年(平成25年)には『アニメ事業室』を新設、同時に自社音楽レーベルも立ち上げ、自社企画でのアニメ事業の強化に乗り出している[36]。
2020年(令和2年)12月1日、東宝映画と、東宝スタジオを管理する「東宝スタジオサービス」を統合し「TOHOスタジオ株式会社」を設立。当該会社で撮影所管理とプロダクションの両方を行い、制作準備から撮影・仕上げまでをワンストップで提供できる体制となる[37]。
2023年(令和5年)7月[38]、東宝国際部をスピンオフする形で、海外事業の中心となるTOHO Globalを設立。北米のToho Internationalを子会社化した[39]。
同年12月13日、劇場数が小中規模のレーベルTOHO NEXTの立ち上げを発表[40]。前身の東宝映像事業部はODS作品を手掛けており、舞台やライブのスクリーン上映、アニメの配給を中心に扱う[41]。
2024年(令和6年)2月、TOHO Globalの子会社でアジア地域の戦略拠点となるToho Entertainment Asiaをシンガポールに設立。11月1日より事業を開始した[42]。
同年4月、株式公開買付け(TOB)により子会社の東京楽天地を完全子会社化[43]した[44]。
同年8月23日、バンダイナムコホールディングスとの間で資本業務提携を締結、両社がそれぞれの株式25億円相当を取得し、持ち合うとしている[45]。
同年10月16日、アメリカの配給会社であるGKIDSとの間で同社の株式全てを取得するための株式譲渡契約を締結し、東宝グループ入りすることを発表。Toho Internationalの子会社となった[46]。
2025年(令和7年)12月、英国の子会社TOHO THEATRICALS UKに増資・改編を行い、TOHO Global傘下の欧州統括会社とした。そしてドイツのPLAION PICTURESから買収した英国のAnime Limitedを、この統括会社の子会社として、英国とフランスでの劇場配給と配信を手掛ける。また戦略的提携によりPLAION PICTURESがドイツ、イタリアを担当することになった[47][48]。
2025年は『国宝』や『劇場版「鬼滅の刃」無限城編』などの大ヒット作品を配給したこともあり、同年における国内配給大手[注釈 12]の映画総興行収入[注釈 13]のうち、半分強となる58.5%を占めた[49][50]。
主要映画作品
主要テレビ作品
1960年代
1970年代
- はまぐり大将
- 兄貴の恋人
- アテンションプリーズ
- 金メダルへのターン!
- おらんだ左近事件帖
- ワン・ツウ・アタック!
- 氷点
- ジキルとハイド
- コートにかける青春
- 飛び出せ!青春
- 泣くな青春
- 1・2・3と4・5・ロク
- 愛染椿
- 婚期
- 未婚・結婚・未再婚
- うなぎのぼり鯉のぼり
- 決めろ!フィニッシュ
- 太陽にほえろ!
- 赤い靴
- マドモアゼル通り
- 剣客商売
- ボクは女学生
- ボクは恋人
- 越前竹人形
- 高校教師
- 幡随院長兵衛お待ちなせえ
- 愛の戦士レインボーマン
- ダイヤモンド・アイ
- 流星人間ゾーン(東宝映像)
- われら青春!
- 求婚旅行
- 鞍馬天狗
- 日本沈没
- 天まであがれ
- もってのほか
- 新妻鏡
- 五番町夕霧楼
- 傷だらけの天使
- 俺たちの勲章
- 俺たちの朝
- 俺たちは天使だ!
- 火曜日のあいつ
- いろはの"い"
- 華麗なる刑事
- 兄弟刑事
- 大追跡
- 横溝正史シリーズ
- 円盤戦争バンキッド
- 嫁だいこん
- 姿三四郎
- 炎の超人メガロマン
- 江戸の旋風
- 江戸の激斗
- ナッキーはつむじ風
- われら行動派!
1980年代
- 愛LOVEナッキー
- GOGO! チアガール
- ぬかるみの女
- ただいま放課後
- メチャン子・ミッキー
- 女商一代 やらいでか!
- 気になる天使たち
- 陽あたり良好!
- 積木くずし
- イエスとノンの物語
- 暴れ九庵
- 噂のポテトボーイ
- 誇りの報酬
- 魔拳!カンフーチェン
- また逢う日
- 青春はみだし刑事
- わたしの姑ばなれ
- 夢追い旅行
- クルクルくりん
- 転校少女Y
- 禁じられたマリコ
- ジャングル / NEWジャングル
- 名犬ジョリィ
- タッチ
- あぶない雑居カップル
- 夫が戻る日
- 教師びんびん物語
- ふれ愛
- あまえないでヨ!
- 制作2部青春ドラマ班
- 日本一のカッ飛び男
- 痛快!婦警候補生やるっきゃないモン!
- 超音戦士ボーグマン
- 電脳警察サイバーコップ(東宝企画)
- 再婚します。
- ヘイ!あがり一丁
- ハロー!グッバイ
- いとしの婿どの
1990年代
2000年代
2010年代
- 警部補 矢部謙三
- 宿命 1969-2010 -ワンス・アポン・ア・タイム・イン・東京-
- ジウ 警視庁特殊犯捜査係
- 最上の命医
- ホワイト・ラボ〜警視庁特別科学捜査班〜
- MONSTERS
- ハードナッツ!
- ダメな私に恋してください
- 仰げば尊し
関係者
歴代会長
- 1943年12月10日 - 1947年3月9日:渋沢秀雄
- 1947年12月26日 - 1949年4月12日:田辺加多丸
- 1949年9月26日 - 1950年1月16日:渡辺銕蔵
- 1950年9月28日 - 1955年9月20日:米本卯吉
- 1957年3月25日 - 1962年9月24日:佐藤博夫
- 1962年9月25日 - 1966年9月23日:松岡辰郎
- 1966年9月24日 - 1974年8月21日:清水雅
- 1974年8月22日 - 1981年5月24日:馬淵威雄
- 1995年5月25日 - 2009年:松岡功
- 2022年5月26日 - 現職:島谷能成
歴代社長
- 1943年12月10日 - 1947年3月9日:大澤善夫
- 1947年3月10日 - 12月22日:田辺加多丸
- 1947年12月26日 - 1949年9月25日:渡辺銕蔵
- 1949年9月26日 - 1950年9月27日:米本卯吉
- 1950年9月28日 - 1951年9月27日:小林富佐雄
- 1951年9月28日 - 1955年9月19日:小林一三
- 1955年9月20日 - 1957年10月1日:小林富佐雄
- 1957年10月5日 - 1966年9月23日:清水雅
- 1966年9月24日 - 1974年8月12日:松岡辰郎
- 1974年8月22日 - 1977年5月24日:清水雅
- 1977年5月25日 - 1995年5月24日:松岡功
- 1995年5月25日 - 2002年5月22日:石田敏彦
- 2002年5月23日 - 2011年5月25日:高井英幸
- 2011年5月26日 - 2022年5月25日:島谷能成
- 2022年5月26日 - 現職:松岡宏泰
役員
- 2024年5月23日現在
- 代表取締役会長: 島谷能成
- 代表取締役社長 社長執行役員: 松岡宏泰
- 取締役副社長執行役員: 太古伸幸
- 取締役専務執行役員: 市川南
- 取締役: 角和夫
- 常勤監査等委員: 緒方栄一
- 取締役監査等委員(独立社外取締役): 安藤知史、折井雅子、大越いづみ
- 常務執行役員: 瀬田一彦、池田篤郎、大田圭二
- 上席執行役員: 池田隆之、加藤陽則、和田薫一郎、本多太郎
- 執行役員: 宇田典弘、福田明宏、吉田充孝、上田太地、植田浩史、山中一孝
主なプロデューサー
- 藤本真澄
- 田中友幸
- 本木荘二郎
- 富山省吾
- 金子正且
- 笹井英男
- 貝山知弘(現在はオーディオ評論家として活動中)
- 渡辺晋(渡辺プロダクション)
- 堀威夫(ホリプロ)
- 梅浦洋一(テレビ部)
- 山本悦夫(テレビ部)
- 川村元気
主な監督
主な脚本家
主な音楽家
主なカメラマン
主な俳優(男性)
- 大河内傳次郎
- 長谷川一夫
- 志村喬
- 上原謙
- 黒川弥太郎
- 藤原釜足
- 伊藤雄之助
- 藤田進
- 小杉義男
- 左卜全
- 宮口精二
- 森繁久彌
- 池部良
- 小林桂樹
- 堺左千夫
- 稲葉義男
- 三船敏郎
- 堀雄二
- 伊豆肇
- 龍崎一郎(竜崎一郎)
- 鶴田浩二
- 伊藤久哉
- 三橋達也
- 木村功
- フランキー堺
- 有島一郎
- 河津清三郎
- 三木のり平
- 高島忠夫
- ハナ肇とクレージーキャッツ
- 藤田まこと
- 田崎潤
- 千秋実
- 加東大介
- 平田昭彦
- 小泉博
- 久保明
- ミッキー・カーチス
- 山下敬二郎
- 水原弘
- 江原達怡
- 人見明
- 天本英世
- 佐原健二
- 土屋嘉男
- 宝田明
- 仲代達矢
- 佐藤允
- 中谷一郎
- 中丸忠雄
- 夏木陽介
- 加藤武
- 藤木悠
- 児玉清
- 船戸順
- 太刀川寛
- 加山雄三
- 田中邦衛
- 黒部進
- 二瓶正也
- 石坂浩二
- 黒沢年男
- 薩摩剣八郎(中山剣吾)
- 三浦友和
- 草刈正雄
- 沖雅也
- 髙嶋政宏
- 高嶋政伸
- 西条康彦
- 中島春雄
- 伊吹徹
- 久野征四郎
- 田島義文
主な俳優(女性)
- 入江たか子
- 飯田蝶子
- 細川ちか子
- 花井蘭子
- 三益愛子
- 山田五十鈴
- 高峰秀子
- 原節子
- 轟夕起子
- 山口淑子(李香蘭)
- 木暮実千代
- 淡島千景
- 杉葉子
- 角梨枝子
- 久我美子
- 塩沢とき
- 八千草薫
- 有馬稲子
- 岡田茉莉子
- 司葉子
- 新珠三千代
- 赤木蘭子
- 千石規子
- 岡田可愛
- 若林映子
- 木匠マユリ
- 中北千枝子
- 笠置シヅ子
- 越路吹雪
- 藤間紫
- 久慈あさみ
- 岸旗江
- 島崎雪子
- 青山京子
- 高千穂ひづる
- 淡路恵子
- 若山セツ子
- 香川京子
- 河内桃子
- 草笛光子
- 白川由美
- 団令子
- 中島そのみ
- 重山規子
- 水野久美
- 安西郷子
- 高橋紀子
- 前田美波里
- 江利チエミ
- 雪村いづみ
- 美空ひばり
- 上原美佐
- 横山道代(現・横山通乃)
- 二木てるみ
- ザ・ピーナッツ
- 藤山陽子
- 沢井桂子
- 沢井孝子
- 浜美枝
- 星由里子
- 田村奈巳
- 桜井浩子
- 菱見百合子(現・ひし美ゆり子)
- 松本めぐみ
- 酒井和歌子
- 内藤洋子
- 柏木由紀子
- 関根恵子(現・高橋惠子)
- 本田美奈子.
- 山口百恵
- 森昌子
- 桜田淳子
- 古手川祐子
- 名取裕子
- 中井貴惠
- 松原千明
- 沢口靖子
- 斉藤由貴
- 小高恵美
- 水野真紀
- 田中美里
- 野波麻帆
- 長澤まさみ
- 大塚ちひろ(現・大塚千弘)
- 乙羽信子
- 北あけみ
- 中真千子
- 原知佐子
- 野口ふみえ
- 柳川慶子
- 黒瀬真奈美
- 澤村契恵子
- 一の宮あつ子
映画館
東京、名古屋、大阪、京都の主要館をかつては直営として経営していた。1990年代末期以降、本社地区は東宝サービスセンターに、関西地区は東宝ビル管理に、中部地区は中部東宝に運営を委託。2006年以降、東宝グループの映画興行をTOHOシネマズに集約することになったため、現在は東宝の直営館は存在しない。以下、東宝直営館として営業していた映画館を示す。傍系の映画興行会社が経営していた映画館は六部興行を、TOHOシネマズに移管した映画館はTOHOシネマズを参照のこと。
TC:○→2006年10月1日のTOHOシネマズへの運営・経営移管で継承された劇場
本社地区(日比谷・有楽町)
| 劇場名 | TC | 営業時期 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 宝塚会館→東京宝塚ビル(東京都千代田区有楽町1-1-3) | |||
| 東京宝塚劇場 | 1934年1月1日 1997年12月29日 |
詳細は宝塚会館の記事を参照 | |
| スカラ座(初代) | 1940年4月16日 1997年12月29日 |
1955年7月13日改装 | |
| 東宝演芸場 | 1938年9月23日 1997年12月29日 |
1955年8月1日改装 | |
| スカラ座(二代目) | ○ | 2000年12月16日 2006年9月30日 |
|
| みゆき座(二代目) | ○ | 2005年4月1日 2006年9月30日 |
旧・日比谷スカラ座2。初代(東宝会館)閉館に伴い移転し継承 |
| 日劇会館→有楽町マリオン(東京都千代田区有楽町2-5-1) | |||
| 日本劇場 | 1933年12月24日 1981年2月22日 |
詳細は日劇会館の記事を参照 | |
| 日劇ミュージックホール | 1952年3月17日 1981年2月22日 |
||
| 丸の内東宝劇場 | 1955年2月10日 1981年2月22日 |
戦後の地下増床工事により開館 | |
| 日劇文化劇場 | 1935年12月30日 1981年2月22日 |
1955年8月12日改装 | |
| 日劇PLEX | ○ | 1984年10月6日 2006年9月30日 |
2002年の改称前は「日本劇場」「日劇東宝」「日劇プラザ」 |
| 日比谷映画劇場/有楽座→東宝日比谷ビル(東京都千代田区有楽町1-2-2) | |||
| 日比谷映画劇場 | 1934年2月1日 1984年10月31日 |
閉館後は千代田劇場(後述)が「日比谷映画」として名称を引き継ぐ | |
| 有楽座(昭和) | 1935年6月7日 1984年10月31日 |
||
| 東宝会館→東宝シアタークリエビル(東京都千代田区有楽町1-2-1) | |||
| 芸術座 | 1957年4月14日 2005年3月27日 |
||
| 日比谷映画(二代目) | 1957年4月14日 2005年4月8日 |
旧:千代田劇場 | |
| みゆき座(初代) | 1957年4月14日 2005年3月31日 |
閉館の翌4月1日にスカラ座2(前述)が名称を引き継いだ | |
| ニユートーキヨービル→ヒューリックスクエア東京(東京都千代田区有楽町2-2-3) | |||
| ニュー東宝・スキヤバシ映画劇場 | 1957年10月9日 1972年 |
詳しい沿革は左記リンク参照 | |
| ニュー東宝シネマ | 1972年5月5日 2005年1月14日 |
1995年6月30日のニュー東宝シネマ2閉館後は単独館として営業 | |
| 有楽座(平成) | ○ | 2005年4月9日 2009年2月9日 |
経営移管後の2009年2月10日に「TOHOシネマズ有楽座」に改称 |
その他関東地区
| 劇場名 | TC | 営業時期 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 渋谷東宝会館→渋東シネタワー(東京都渋谷区道玄坂2-6-17) | |||
| 渋谷東宝劇場 | 1936年11月1日 1989年2月26日 |
当初は東横映画劇場の名称で営業していたが1944年9月1日に改称 | |
| 渋谷スカラ座 | ? 1989年2月26日 |
||
| 渋谷文化劇場 | 1952年11月17日 1989年2月26日 |
本劇場のみ1952年6月9日に設立された株式会社渋谷文化劇場が経営・運営 | |
| 渋東シネタワー | ○ | 1991年7月6日 2006年9月30日 |
2011年7月15日よりTOHOシネマズ渋谷として順次リニューアルオープン |
| 渋谷宝塚劇場→QFRONT(東京都渋谷区宇田川町21-6) | |||
| 渋谷宝塚劇場 | 1959年7月8日 1997年5月30日 |
||
| 渋谷シネフロント | ○ | 1999年12月18日 2006年9月30日 |
2010年1月22日閉館 |
| 新宿東宝会館→新宿東宝ビル(東京都新宿区歌舞伎町1-19-2) | |||
| 新宿プラザ劇場 | ○ | 1969年10月31日 2006年9月30日 |
2008年11月7日閉館 |
| 上野東宝劇場/上野宝塚劇場(東京都台東区上野公園1丁目) | |||
| 上野東宝劇場[注釈 14] | 1954年12月13日 2003年8月31日 |
||
| 上野宝塚劇場[注釈 15] | 1954年12月13日 2003年8月31日 | ||
| シネシックス→ららぽーとシネマ10→TOHOシネマズ船橋ららぽーと(ららぽーとTOKYO-BAY内) | |||
| シネシックス | 1988年3月25日 ? |
松竹系の映画館と合わせて6スクリーンで構成 | |
| ららぽーとシネマ10 | ? 2004年7月 |
さらに東映系が加わり10スクリーンで構成 | |
| TOHOシネマズ船橋ららぽーと | ○ | 2004年7月16日 2006年9月30日 |
松竹・東映が運営・経営から外れる、同年10月30日に全面開館 |
| その他 | |||
| シネマメディアージュ | ○ | 2000年4月22日 2006年9月30日 |
2017年2月23日閉館 |
| TOHOシネマズ八千代緑が丘 | ○ | 2006年3月17日 2006年9月30日 |
経営のみ東宝直営、運営は開業当初からTOHOシネマズ |
関西地区
| 劇場名 | TC | 営業時期 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 梅田会館→HEP(大阪府大阪市北区角田町7-10) | |||
| 梅田東宝会館 | 1937年12月9日 1978年2月28日 |
北野劇場・北野シネマ・梅田劇場・梅田スカラ座・梅田地下劇場で構成 | |
| 北野劇場(新) | ○ | 1980年10月24日 2006年9月30日 |
現在のTOHOシネマズ梅田・スクリーン1 |
| 梅田スカラ座(新) | ○ | 現在のTOHOシネマズ梅田・スクリーン2および4 | |
| 梅田劇場(新) | ○ | 現在のTOHOシネマズ梅田・スクリーン3および5 | |
| ナビオシネ4 | ○ | 1998年10月23日 2006年9月30日 |
現在のTOHOシネマズ梅田・スクリーン7 |
| ナビオシネ5 | ○ | 現在のTOHOシネマズ梅田・スクリーン8 | |
| 南街会館→東宝南街ビル(大阪府大阪市中央区難波3-8-11) | |||
| 南街会館 | 1953年12月18日 2004年2月1日 |
前身は1938年に開館した南街映画劇場であり、戦後に改築した | |
| TOHOシネマズなんば | ○ | 2006年9月22日 2006年9月30日 |
経営のみ東宝直営、運営は開業当初からTOHOシネマズ |
| その他 | |||
| TOHOシネマズ二条 | ○ | 2005年6月23日 2006年9月30日 |
経営のみ東宝直営、運営は開業当初からTOHOシネマズ |
| TOHOシネマズ橿原 | ○ | 2004年3月26日 2006年9月30日 |
経営のみ東宝直営、運営は開業当初からTOHOシネマズ |
- 京都宝塚会館(京都宝塚劇場・京都スカラ座)(京都府京都市中京区河原町通三条下ル大黒町58)<1935年10月開館、2006年1月29日閉館>
- 2008年4月25日、跡地に複合商業ビル「mina kyoto」がオープンした。
前身: 京都宝塚劇場(1935年 - 1945年)→同(GHQによる夜間接収)(1945年10月27日 - 12月31日)→ステイトサイド・シアター(GHQによる完全接収)(1946年1月1日 - 1952年7月)→京都宝塚劇場(1952年 - 1956年)→京都宝塚劇場・スカラ座(1956年 - 2006年)
- 2008年4月25日、跡地に複合商業ビル「mina kyoto」がオープンした。
- 京極東宝1・2・3(京都府京都市中京区新京極四条上ル仲之町534-1)<2006年1月29日閉館>
- 2008年12月11日、跡地にビジネスホテル「スーパーホテル京都・四条河原町」がオープンした。
前身: 三友倶楽部(1911年 - 1915年)→三友劇場(1916年 - 1945年)→京極東宝劇場(1954年 - 1996年)→京極東宝(1996年 - 2006年)
- 2008年12月11日、跡地にビジネスホテル「スーパーホテル京都・四条河原町」がオープンした。
中部地区
- 名宝会館(名宝劇場・名宝スカラ座・名宝シネマ)(愛知県名古屋市中区栄1-2-6)<1935年11月3日開館、2002年12月1日閉館>
- 2004年11月1日、跡地に名古屋東宝ビルがオープン、併設してビジネスホテル「リッチモンドホテル(オープン当時はロイネットホテル)名古屋納屋橋」がオープンした。
- エンゼル東宝(愛知県名古屋市中区栄3-15-20、松坂屋本店北館地下1階)<1972年11月開館、2005年9月4日閉館>
- 2006年6月、跡地に大人向けディスコ「PLATINUM NAGOYA」がオープンした。
- 名鉄東宝1・2(愛知県名古屋市中村区名駅1-2-4、名鉄バスターミナルビル内)<1967年6月開館、2006年2月24日閉館>
- 2006年10月25日、跡地も含めて名鉄百貨店本店メンズ館としてリニューアルオープンした。
前身: 名鉄東宝(1967年6月 - 1998年1月)→改装休館(1998年1月 - 7月10日)→名鉄東宝1・2(1998年7月11日 - 2006年2月24日)
- 2006年10月25日、跡地も含めて名鉄百貨店本店メンズ館としてリニューアルオープンした。
映画興行成績
演劇
かつては長谷川一夫をメインとした「東宝歌舞伎」などが行われたほか、日劇・北野劇場での実演(歌謡ショーなど)、宝塚歌劇、演芸の東宝名人会や日劇ミュージックホールや南街ミュージックホールでのヌードショーなど多彩であった。
現在はミュージカルや商業演劇を主に制作、興行している。
主な劇場
- 東宝直営
- その他
かつて存在した劇場
- ※新宿コマ劇場とシアターアプルは東宝系と見なされる事が多かったが、厳密には東宝ではなく兄弟会社のコマ・スタジアムが経営していた劇場である。舞台制作や興行も同社の手により行われていたが、新聞案内広告では「東宝の演劇」として扱われることが多く、長年毎日新聞金曜日の夕刊(東京本社版)に掲載された東宝提供の「東宝の映画演劇」の広告にも併記されていた。
オープニングロゴ
映画配給
中央に放たれる光の中心にロゴマークが配され、下部に黄文字で「東宝株式会社」と横書きされる(初期のカラー作品は「東宝株式会社製作」や「東宝株式会社配給」と表記)。東宝スコープ作品では東宝マークの左右に黄色いゴシック体の立体処理で「TOHO」「SCOPE」と配されていた。北米公開時には東宝マークの中に「TOHO」のアルファベットが入り、下部の社名表記が「TOHO COMPANY, LTD.」に変わる。円谷英二によってデザイン・制作されたものであり、1992年の創立60周年以降はそれまでの実写・光学合成による映像に代わり、CGで制作されたものが使用されている。2010年以降は16:9とシネスコのオープニングロゴ統一に伴い「東宝株式会社」部分が一新され、2026年からはその下に明朝体での「TOHO CO.,LTD.」(海外向けは「TOHO GROUP」)の英語表記が追加された。
メディア媒体
- VHS
-
- 初代(1983年〜1991年)
- JCGL(ジャパン・コンピュータ・グラフィックス・ラボ)によるCG映像。ズームする球体から「TOHO VIDEO」が浮かびながら回転し、後方から「TOHO VIDEO」が中央部分に合わさると上の発光物質がフラッシュし「東宝」ロゴに変化、「TOHO VIDEO」部分に金の影が入る。映画配給作品など、多くは東宝のロゴ映像から始まるため、CG映像は極めて稀である。
- 2代目(1991年~生産終了まで)
- 横長の球体によって「TOH」が現れ球体が「O」に変化、左にズームすると同時に後方から「VIDEO」が中央部分に合わさり、四角形に囲まれると「TOHO」部分が黒文字に変化する。
- DVD・Blu-ray
-
- 初代(1999年~2009年)
- 「DVD(改行)TOHO」の文字が上から回転しながら中央部分に合わさり、白文字に変化する。
- 2代目(2009年~)
- 「NHKスペシャル」の2代目を踏襲したCG映像。無数のモニターによって「TOHO」の文字が形成され、四角形に囲まれると同時に「Visual Entertainment」の文字が現れて完成する。BGMは初代DVDを流用。
ゲームソフト・アプリ
1987年から1998年まではゲームソフトの販売も行っていた。大半が『ゴジラ』および自社が関わるアニメのゲーム版だが、特に関わりのない普通のゲームもリリース実績がある。(開発は他社による)
- CITY ADVENTURE タッチ MYSTERY OF TRIANGLE
- ジーキル博士の彷魔が刻
- ゴジラ(ファミリーコンピュータ)
- 燃える!お兄さん
- ヘビーユニット(メガドライブ)
- ふしぎの海のナディア(ファミリーコンピュータ)
- スーパーアレスタ
- 芹沢信雄のバーディトライ
- らんま1/2 朱猫団的秘宝
- らんま1/2 超技乱舞篇
- ポコニャン!夢大冒険
- ポコニャン!へんぽこりんアドベンチャー
- ゴジラ 爆闘烈伝
- 超ゴジラ
- ゴジラ 怪獣大決戦
- 火の皇子 ヤマトタケル
- ゴジラ トレーディングバトル
2020年代よりスマートフォン用アプリケーションゲームを、「TOHO Games」というレーベルでリリースしている[51]。
- ゴジラ デストラクション/GODZILLA DESTRUCTION(2021年4月27日)
- ラン ゴジラ/RUN GODZILLA(2021年6月3日)
- ゴジラ バトルライン/GODZILLA BATTLE LINE(2021年6月15日)
- からかい上手の高木さん キュンキュンレコーズ(2022年6月8日)
- おうちに帰りたい ねこの旅(2022年8月3日)
- 呪術廻戦 ファントムパレード(2023年11月21日)
子会社・関連会社・その他
所有ビル
有楽町・日比谷地区
- 有楽町センタービル(有楽町マリオン) - 阪急MEN'S TOKYO・TOHOシネマズ日劇スクリーン2(旧:日劇)部分など区分所有。
- 東京宝塚ビル(19階建) - 中高層階は賃貸オフィス、1階 - 6階は東京宝塚劇場、地下1階・2階は映画館(TOHOシネマズスカラ座、TOHOシネマズみゆき座)
- 東宝日比谷ビル - 本社など各種オフィス、低層階に日比谷シャンテ
- シアタークリエビル(地下2階18階建て、日比谷映画跡) - 低層部にシアタークリエ(演劇場)、2階 - 18階はホテルレム日比谷、2階ホテル内に無印良品の飲食店「Café&Meal MUJI 日比谷」。
- 東宝日比谷プロムナードビル (地下2階地上11階建て、東宝ツインタワービル 跡) - 地下2階 - 地上2階は商業店舗フロア、地上3階 - 地上11階はオフィスフロア[注釈 16]。
新宿地区
大阪地区
脚注
注釈
- ^ 本社は旧東宝映画があった銀座7丁目大日本麦酒本社内。
- ^ そのため、第一回作品は『ほろ酔い人生』となる。
- ^ 後の映画プロデューサー。エクラン社、日本電波映画の社長として長年京都を中心に活躍した。
- ^ 市川はほどなく新生日活へ移籍。
- ^ これらは東宝四大喜劇シリーズとも呼ばれている。
- ^ これらの映画は監督やメインスタッフも大映系、日活系がほとんどである。
- ^ 特に資本関係の強いフジテレビとの提携が中心。
- ^ 2019年現在ではワーナー・マイカルの後身であるイオンシネマが第1位。
- ^ 特に東映は70年代までは映画配給収入でおおむね東宝の上位に位置していていた。
- ^ 経営陣待遇の大物プロデューサーと言われたうち、森岩雄と藤本真澄は副社長、田中友幸は東宝映画会長どまり。
- ^ キャリアパスとしての短期間ではあるが。
- ^ 日本映画製作者連盟の加盟4社(東宝・松竹・東映・KADOKAWA(角川映画))が対象。
- ^ 2744億5200万円。
- ^ 51番地
- ^ 52番地
- ^ 2023年春竣工。
出典
- ^ コーポレート・ガバナンス - 東宝株式会社
- ^ a b c d e f g h i j k 東宝株式会社『第135期(自 2023年3月1日 - 至 2024年2月29日)有価証券報告書』(レポート)2024年5月23日。
- ^ 東宝株式会社 定款 第1章第1条
- ^ a b c 藤本真澄、北浦馨「動く撮影所の時代がやって来た 新しい器材購入のため3・4月頃渡米する」『映画時報』1972年3月号、映画時報社、4–13頁。
- ^ 構成銘柄一覧:日経平均株価 Nikkei Inc. 2021年10月8日閲覧。
- ^ “構成銘柄一覧 JPX日経インデックス400”. 日経平均プロフィル. 2025年3月4日閲覧。
- ^ “メンバー会社一覧”. みどり会. 株式会社みどり会. 2025年3月13日閲覧。
- ^ 大特撮 1985, pp. 177–186, 「第十章 戦前戦中編 III 東宝梁山泊」
- ^ 特撮全史 1950-60年代 2017, p. 130, 「日本映画における空想、特撮マインド」
- ^ 東宝特撮映画全史 1983, pp. 82–83, 「東宝特撮映画作品史 前史」
- ^ ゴジラ大全集 1994, pp. 50–51, 「東宝特撮映画史 ゴジラ誕生 ゴジラ以前」
- ^ a b c d e f g 井関種雄(A・T・G社長) 聞き手・北浦馨「A・T・G十一年目の出発 製作共同体の時代来るか?」『映画時報』1971年10月号、映画時報社、13–14頁。
- ^ 東宝系全劇団が移動文化隊を結成(昭和15年10月1日 中外商業新聞『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p22 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
- ^ a b ゴジラ大全集 1994, pp. 52–53, 「東宝特撮映画史 ゴジラ誕生 ゴジラ誕生」
- ^ 平成ゴジラ大全 2003, p. 17, 「プロローグ・誕生から終焉へ 田中友幸と森岩雄」
- ^ 「森岩雄 (もりいわお) 生没年:1899-1978(明治32-昭和53)」『改訂新版 世界大百科事典』平凡社。コトバンクより2026年1月26日閲覧。
- ^ a b 特撮全史 1950-60年代 2017, p. 131, 「1950's-1960's 日本空想、特撮映画総覧 東宝」
- ^ a b 大特撮 1985, pp. 186–191, 「第十一章 戦後復興編 I 特撮映画の退潮」
- ^ a b 平成ゴジラ大全 2003, p. 19, 「COLUMN 東宝争議とは?」
- ^ 大特撮 1985, pp. 245–247, 「第十二章 躍進編 III 変転する昭和三〇年代の各社」
- ^ 大特撮 1985, pp. 215–217, 「第十二章 躍進編 I 特撮映画、カラー・ワイド時代へ」
- ^ ゴジラ大全集 1994, pp. 56–57, 「東宝特撮映画史 ゴジラ誕生 ワイド化と路線の多様化」
- ^ 特撮全史 1950-60年代 2017, p. 157, 「1950's-1960's テレビヒーローの系譜」
- ^ 特撮全史 1970年代 2016, p. 159, 「そのほか、制作会社の1970'S」.
- ^ ゴジラ大全集 1994, pp. 58–59, 「東宝特撮映画史 ゴジラ誕生 チャンピオンまつりの時代」
- ^ a b 大特撮 1985, pp. 274–275, 「第十三章 激動編 IV 特撮映画の新時代」
- ^ 平成ゴジラ大全 2003, p. 97, 「COLUMN 映画調整部とは?」
- ^ a b 特撮全史 1970年代 2016, p. 143, 「東宝の1970's」
- ^ a b 松岡功「松岡功(20)外部の力 百恵・友和コンビ誕生 ホリプロと組み「伊豆の踊子」」『日本経済新聞』日本経済新聞新聞社(日本経済新聞電子版)、2016年6月21日。オリジナルの2019年2月17日時点におけるアーカイブ。2026年6月24日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 大高宏雄「大高宏雄のファイトシネクラブ Round 112 『東宝が相変らず強い理由』」『キネマ旬報』2004年11月上旬号、キネマ旬報社、163頁。
- ^ a b c d 「映画東西南北談議 秋から来年正月にかける各社 下半期は平和な話題に終始したい」『映画時報』1973年8月号、映画時報社、34–35頁。
- ^ 特撮全史 1970年代 2016, pp. 32, 137.
- ^ 河合基吉「五島東急軍団、岡田東映が16年振りに復縁 実力社長同士の『信頼』から生まれた『兄弟仁義』の一部始終」『経済界』1980年3月21日号、経済界、18-21頁。
- ^ “東宝がヴァージン・シネマズを100億円で買収!”. 映画.com. エイガ・ドット・コム. 2003年2月25日. 2025年1月11日閲覧.
- ^ 東宝が「超一等地」に不動産を持っているワケ 週刊東洋経済 2015年04月27日
- ^ 東宝がアニメ事業に本格参入〜パッケージやODSも駆使して劇場ヒット狙う オリコンスタイル 2013年3月3日、同7月2日閲覧。
- ^ “「株式会社東宝映画」から、「TOHOスタジオ株式会社」へ”. TOHO STUDIOS 東宝スタジオ (2020年12月1日). 2025年1月11日閲覧。
- ^ “東宝、新たな子会社TOHO Globalを7月20日付で設立 国際事業を承継・集約してグループが運営する海外事業拠点を統括”. ゲームビズ. 2023年7月13日. 2024年12月16日閲覧.
- ^ 植田浩史(インタビュアー:平島綾子)「東宝が挑戦する世界 植田社長が語るTOHO Globalの北米展開(エンタ界トップインタビュー 第6回)」『日経クロストレンド』、日経BP、2024年12月13日。2024年12月16日閲覧。
- ^ 数土直志 (2023年12月16日). “東宝が映画配給の新レーベル「TOHO NEXT」、24年1月に「名探偵コナンvs.怪盗キッド」”. アニメーションビジネス・ジャーナル. 2025年1月9日閲覧.
- ^ 数土直志 (2024年12月29日). “東宝が2025年配給ラインナップ発表 TOHO NEXTは2/3がアニメ”. アニメーションビジネス・ジャーナル. 2025年1月9日閲覧.
- ^ 数土直志「東宝がシンガポールにアジア拠点設立 ゴジラやアニメ作品展開」『アニメーションビジネス・ジャーナル』2024年11月3日。2025年4月18日閲覧。
- ^ 2024年4月2日、東京証券取引所プライム市場上場廃止。
- ^ “東宝が東京楽天地にTOB…買収総額300億円、完全子会社化し連携強化へ”. 読売新聞 (2023年12月6日). 2023年12月7日閲覧。
- ^ 田中志保 (2024年8月23日). “東宝とバンナムHDが資本業務提携、相互に株式を取得”. ロイター通信. 2024年8月23日閲覧.
- ^ “米国 GKIDS, INC.の子会社化に関するお知らせ”. 東宝株式会社 (2024年10月16日). 2024年10月16日閲覧。
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- ^ 『欧州地域への IP 展開に向けた欧州統括会社を設立 ~英国 Anime Ltd の取得および独 PLAION PICTURES との戦略的提携に合意~』(PDF)(プレスリリース)東宝、2025年12月19日。2026年1月24日閲覧。
- ^ “東宝、純利益が過去最高 「国宝」「鬼滅」効果で―25年3~11月期”. 時事通信 (2026年1月14日). 2026年3月27日閲覧。
- ^ 毎日新聞 (2026年3月25日). “日本の映画配給で“独り勝ち” 東宝専務「もっと興行収入上げたい」”. Yahoo!ニュース. LINEヤフー株式会社. 2026年3月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2026年3月27日閲覧。
- ^ GODZILLA GAMES PORTAL(ゴジラスマートフォン向けゲームアプリポータルサイト)
参考文献
- 『東宝特撮映画全史』監修 田中友幸、東宝出版事業室、1983年12月10日。ISBN 4-924609-00-5。
- コロッサス 編『大特撮 日本特撮映画史』監修 本多猪四郎(改訂初版)、朝日ソノラマ、1985年1月31日(原著1979年1月31日)。ISBN 4-257-03188-3。
- 『誕生40周年記念 ゴジラ大全集』構成・執筆:岩畠寿明(エープロダクション)、赤井政尚、講談社〈テレビマガジン特別編集〉、1994年9月1日。ISBN 4-06-178417-X。
- 『平成ゴジラ大全 1984-1995』編著 白石雅彦、スーパーバイザー 富山省吾、双葉社〈双葉社の大全シリーズ〉、2003年1月20日。ISBN 4-575-29505-1。
- キャラクター大全(講談社)
- 講談社 編『特撮全史 1970年代ヒーロー大全』2016年1月29日。ISBN 978-4-06-219821-9。
- 講談社 編『特撮全史 1950-60年代ヒーロー大全』2017年11月29日。ISBN 978-4-06-220358-6。
関連項目
外部リンク
- 東宝
- 東宝映画
- 東宝MOVIEチャンネル - YouTubeチャンネル
- 東宝 - メディア芸術データベース
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