この記事には
参考文献 や
外部リンク の一覧が含まれていますが、
脚注 による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。
適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上 にご協力ください。(2021年4月 )
ボーイング747 (英 : Boeing 747 )は、アメリカ合衆国 のボーイング 社が開発・製造していた大型ジェット旅客機 シリーズ。1969年 2月の初飛行から多くの改良を重ね、半世紀以上に渡って生産が続けられたボーイング社のロングセラーであり、エアバスA380 が初飛行するまでは世界最大の民間航空機であった[注釈 1] 。一般的には「ジャンボジェット (Jumbo Jet )」の愛称で呼ばれる[1] 。
概要
世界初のワイドボディ 機で、それまでのボーイング707 やダグラス DC-8 といった従来のジェット旅客機の2倍以上の乗客数を誇る。航空業界に大量輸送時代を到来させたことによってそれまで一般庶民にとって高嶺の花であった航空旅行、特に国外旅行の大衆化を可能にした航空史に残る画期的な機体であった。アメリカや日本 、アラブ首長国連邦 など世界各国の政府首脳専用機 に採用され、NASA のスペースシャトル輸送機 等にも転用されている。この他にも積載性の高さから大型貨物機としても大きな成功を収め、旅客型・貨物型問わず世界の航空会社で活躍した。
なお、2021年 3月現在までの航空会社1社による合計発注機数は、日本航空 の113機が最多である。
愛称の「ジャンボジェット」は、19世紀 後半にロンドン動物園 やバーナム・アンド・ベイリー・サーカス で活躍した有名なアフリカ象 ・ジャンボ の名前に由来している。当初ボーイング社は、「鈍重なイメージがあるこの愛称は最新鋭機にふさわしくない」としてこの愛称を認めず、「スーパーエアバス」としていたが、愛称が一般に受け入れられたこと、1970年代 にエアバス・インダストリー(現:エアバス) がヨーロッパ において航空機製造を開始したこともあり、今日では公式の場で呼称を用いることが多い。
2014年 6月28日 に製造機数通算1,500機目の747がルフトハンザドイツ航空 へ引き渡された(ボーイング747-8IC、機体番号:D-ABYP)[2] 。また747シリーズの引き渡し数通算1,500機目が日本貨物航空 に引き渡された(ボーイング747-8F、機体番号:JA17KZ)。
沿革
開発
1968年9月30日の公開の様子
当時としては破格の広さだったキャビン
1960年代 の国際航空路線は、1950年代 に開発されたボーイング707 やダグラス DC-8 など、通路を1本持った乗客数150 - 200人の機体(ナローボディ機 )が主力であった。特にパンアメリカン航空 ・日本航空 ・エールフランス ・英国海外航空 などの主要航空会社 は、これらの機体を使用して旅客 の獲得競争をしていた。
当時、ボーイング2707 やアエロスパシアル ・コンコルド などに代表される超音速旅客機 の開発が進んでいた一方、世界各国では空港の拡張が進捗していなかったことに加えて航空機騒音が深刻化していた。増加する航空需要に対応するためには航空機の大型化が求められた中、ダグラス・エアクラフト はDC-8の胴体を延長した-60シリーズをリリースして好評を収めたが、ボーイング707はランディングギア の短さから胴体のストレッチが不可能となっていた[3] 。このような状況で、パンアメリカン航空は1970年代 以降に主力となると思われていた超音速旅客機と並ぶ次世代機として、従来機の2倍以上(350 - 450人)の乗客を乗せる大型機の開発をボーイングに要求した[3] 。
この頃のボーイングはアメリカ空軍 の次期戦略 輸送機 計画[注釈 2] の受注争いでロッキード に敗れた直後だったが、この計画に充てていた技術・人員を転用して設計案を民間輸送機に見直すことを、パンアメリカン航空の経営者であるファン・トリップ に提案した。トリップはこの案を大いに気に入り、1965年 12月2日 に「ボーイングが本気で747を開発するなら、最初の25機を5億5,000万ドルで購入する」と確約した[4] 。その後、ボーイングは1969年末までに最初の747機をパンアメリカン航空に納入することに合意。平均的な開発期間の2/3となる28ヶ月で設計を終結させたが、このスピード開発を達成した関係者らには後に「The Incredibles」の渾名が付けられている。
747は旅客機として設計されながら、当時の輸送の主流でもある横2列でのコンテナ 積載を可能とした胴体直径を持ち、機首部分は前方からの積み下ろし も考慮されたことであえて2層構造を採用。操縦席および乗員収用部はアッパーデッキに置かれる特異な形状の機体となった。これは超音速旅客機の就役後に貨物機 へ改修されることを見越し、前述の戦略輸送機計画の原設計をそのまま残したものである[注釈 3] 。この形状から、民間航空会社からは旅客機以外にも貨物機(主に貨物専門航空会社から)としての受注も得られることとなり、超大型機かつ旅客機・貨物機(ノーズカーゴドアを有する純貨物型のみ。旅客型からの改修を除く)の双方が100機以上受注されたのは当系列のみである。この他にも、計画当初はエアバスA380 のような総2階建て旅客機というコンセプトが挙がっていたが、連邦航空局 (FAA) の定める「事故の際90秒以内に乗客全員が緊急脱出できること」という条件[5] に合致しないことからこれは断念された[6] 。
ただ、当時の航空需要から考えると707の2倍以上となる大きさはあまりにも巨大であったことから、ボーイングの社内にも747に対して懐疑的な雰囲気があった[7] 。しかし、トリップの強い意志と、上述の通り将来的に需要が増えると予想される貨物機に転用する見込みにより計画が進められることとなった。
パンアメリカン航空が25機(旅客型23機・貨物型2機[3] )[7] を発注したことが発表されると、同社と競争 上の脅威に晒されることになる同国のノースウエスト航空 やトランス・ワールド航空 に加え、日本航空、英国海外航空など各国の航空会社からの発注が相次いだ。しかし、当初はエンジンの実スペックがカタログ上のデータに到達せず、最高速度や航続距離 に不足が生じた。このため、機体の重量を軽減してエンジン出力の不足をカバーする措置がとられ、設計の再検討を余儀なくされた。その後は吸気温度を下げる水噴射装置を追加装備するなど、燃焼効率を向上させて[8] エンジンを強化し、離陸重量の引き上げが行われたものの、軽量化で生じた脆弱性はノーズギア 付近の補強をはじめ、様々な改修という形で影響しつづけた。
なお、747の開発当時においては今後の旅客機の主力は超音速旅客機が期待されており、航空ショーでコンコルドと747が並ぶと、人だかりが出来るコンコルドに比べ747の周りには人がまばらという光景も見られた[7] 。
活躍
パンアメリカン航空 の747-100
日本航空 の747-100と富士山
1970年 1月、パンアメリカン航空のニューヨーク -ロンドン 線に747が就航し、日本航空やルフトハンザ航空 、エールフランスなど、初期に注文を行っていた主要航空会社にも次々に納入された。しかし当時多くの航空会社にとって747は市場規模に対して大きすぎて、座席全てを埋めるほどの乗客は無かった。
そこで各航空会社は「空席多数で飛ばすぐらいなら、少しぐらい運賃を下げても席を埋めたほうが良い」と考え、各種の割引制度を設け集客に励んだ。その結果エコノミークラス の運賃が団体割引により大きく低下し、一般庶民が気軽に国外旅行に行けるようになった。各国の貨幣価値や各航空事業者における経営状態にもよるが、導入当時は4分の1以上のシートが埋まれば、航空事業者では採算が取れるといわれていた。
747は上述の通り超音速旅客機が就航した暁には旅客輸送から退くことが想定されていたものであるが、開発されたコンコルドやTu-144 は商業飛行の実情にそぐわない面が露呈するようになり、各航空会社は発注を相次いで取り消し、2707も開発が中止された。こうして本格的な超音速機の時代は遂に訪れることはなく、また長い間747に匹敵するキャパシティ や航続距離 を持つ旅客機 も他に無いため、21世紀初頭に至るまで747は国際路線の花形、航空会社の顔(フラグシップ )として世界の空に君臨してきた。
なお、生産機種は1991年 以後は改良型の747-400 に統合され、それ以前のタイプは、全タイプ合わせて724機で生産終了となった。
競合機の登場
747-8Fのノーズドア
1990年代 後半に入ってからは、技術革新による高性能な新型機体が登場したことにより、キャパシティ の面ではボーイング777-300 やエアバスA340-600 にほぼ並ばれて、航続距離ではボーイング777-200LR やエアバスA340-500 などに抜かれている。さらに、2005年1月、エアバスA380 がロールアウトしたことにより、開発以来世界一を保ってきていたキャパシティでも追い抜かれた。また、形状やエンジンの問題により、747-100/200/300、そして-400も、エアバスA330 やA380、ボーイング777、787と比べると燃費 の面ではかなり劣る。
航空会社では機体の更新時期が迫っているのに加え、原油価格 の高騰で燃費の良い双発機に切り替えたり、さらにボーイング777や767、エアバスA330などの双発機でもETOPS を取得することで長距離洋上飛行が可能になったことや、各国で空港設備が充実したことなどにより、大型機のフライト数を減らして中小型機で多頻度運航する動きが広がっている[注釈 4] 。
747-8の開発と生産終了
2000年代 には、ボーイング747-400を超える大型機としてエアバスA380が開発されることが発表されたが、ボーイング社は747-400の航続距離を延長した747-400ERの製造を開始し、さらに機体を延長してキャパシティを増大させ、新型の低燃費エンジンなどの最新テクノロジーを利用し経済性をさらに高めた新機種ボーイング747-8 の製造を正式に決定した。これにより、収益率の高い大型機市場をみすみす他社に譲り続けることはないと考えられている。
2010年代 に入るとボーイング747シリーズの旅客型の受注はかつてに比べて少なくなっており、エアバスA380に押され気味であったが、貨物型の受注はA380が受注を全て失ったのに対しボーイング747-8は好調であった。経済性はA380と同等である上に、もともと貨物機構想から生まれたこともあり、民間旅客機ベースの貨物機でノーズカーゴドアが設置可能なのは747型機のみという利点もある。
しかし貨物型も自社のボーイング777Fに押される形で受注に陰りが見え始めた上、2019年12月からの新型コロナウイルス感染症(COVID-19) の世界的流行 の影響で航空需要が一気に低迷したことも相まって、2020年7月にボーイング社は2022年を以て747-8の生産を終了することを表明した[1] 。ボーイング747シリーズはこの型式を以て生産終了となり、約半世紀の生産に終止符が打たれることとなった[9]
。また競合機であるA380も受注減により生産終了が決定、また早くも引退する航空会社が出ており、新規開発が無ければ将来的に民間路線から四発機が姿を消すこととなる。
最終製造となる747(-8F型・登録番号: N863GT)は2022年12月6日にボーイング・エバレット工場 にて公開され、2023年1月31日にアトラス航空 に納入された[10] [11] [12] 。全タイプ通算して1574機製造され、半世紀の歴史に幕を閉じた。
技術的特徴
ボーイング747は一度に多くの旅客を運ぶ超大型機であるため、安全確保のために当時の最新鋭の技術や新機軸が投入された。また超大型機にもかかわらず従来と同じ飛行場 で運用できるように設計された。
747-100〜300のコクピット
安全性
経済性を考慮して、フェイルセーフ (fail safe)を全面的に採用している。これは少々の故障では墜落せず、最寄の飛行場まで安全に飛行を維持できるように配慮した設計を施し、一方で完全な飛行機(セーフライフ)を維持整備するための過大な点検と交換のコストを抑えるための方針であり、747の「信頼性整備方式」による経済性を支えた大きな力である。
4基エンジン
多くの旅客機が双発(2基)エンジン を備えるのに対し、4基エンジン を備えることはエンジン故障による飛行不能の可能性が極めて低いと言える。3基のエンジンが停止しても1基のエンジンだけで飛行を続けることが可能であり、各エンジンより油圧を取り出すことにより4系統の独立した油圧システムを実現している。
慣性航法装置(INS)
ジャイロスコープ により空間に対する移動方向を求め、加速度 を検出し積分 することで自機の位置を算出することにより、自機の位置と速度を測定する慣性航法装置 が採用された。当時、すでに戦略(巡航)ミサイル の誘導に使われていた技術であったが、民間での使用は初めてだった。747は高価な機体だったため、航法装置にコストをかけても全体のコストへの影響は少ないとして搭載された。万が一の故障に備え、同時に3基のコンピュータ に同じ航法計算をさせそれぞれの算出結果を比較し、多数決によって判定するシステムを採用した。ある1基が他と異なる結果を出しつづけた場合は、故障とみなされ多数決から除外される。
油圧・電気系統
油圧 や電気の系統は2重から4重の冗長性 を持たせた。しかし、日本航空123便墜落事故 では油圧配管が上部に集中している機体尾部が破壊されたため、全ての油圧が失われ操縦不能になった。この点は設計ミスとして改修を余儀無くされている。
離着陸
それまでの旅客機は、機体が大型化するたびに離着陸 に要する滑走距離が伸び、滑走路 の延長が必要であった。747は当時のボーイング707 やダグラス DC-8 、コンベア880 と同じ距離の滑走路で離着陸できるよう設計された。それでも747が離着陸するには最低でも2500m必要で、安全に余裕を持たせるためには3000m以上あるのが望ましい。また現在では地方空港でも離着陸することができる。しかしながら騒音などの面で問題もある。
強力な高揚力装置 強力な高揚力装置(フラップ)
主翼 後縁 の3重隙間フラップ(トリプル・スロッテッド・フラップ )をボーイング727 に引き続き採用。主翼前縁 は内側がクルーガーフラップ で、外側が可変キャンバーフラップ 。これらの高揚力装置 によって離着陸時の速度を下げることができ、巨大な機体の割に従来機と同等の離着陸速度と滑走距離に留めている。
主翼上面スポイラー
着陸直後に主翼上面に大きな板が6枚立つ。これがスポイラー と呼ばれる装置で、主翼が発生する揚力を低下させることで車輪ブレーキの効果を高め、加えて空気抵抗 によるブレーキ効果を生み、着陸後の滑走距離を短縮する。
客室
-100/-200型の螺旋式階段
-400型の2階客室
2階建て
元来貨物機を念頭に、操縦席を上部デッキに配置する形で設計されたこともあり、ジェット旅客機としては初の2階建て客室を持つ機体となった。当初2階はファーストクラス 乗客用のラウンジ として設定する航空会社が多かった。例えば日本航空は1978年 に、ラウンジを改装して「スカイスリーパー」と銘打った完全なベッドになる席を長距離国際線で提供開始した。ただしファーストクラス運賃に加え追加料金が必要だったため[13] 利用が低迷し数年後に廃止された。その後ほとんどの航空会社が客席とギャレー として使用することとなった。現在は、エコノミークラス では横6席、ビジネスクラス では横4席で使用されることが多い。階段は初期の機体は螺旋式階段であったが、後に下部が曲がっているものの概ね直線状階段に改められている。-300/-400型では2階客室部分が延長されたことから、位置を少し後ろに移動させたうえで完全な直線階段となっている。また、階段上部に可動式のパーティションが設けられている。メインデッキと比べて天井が低くなるため、2階客席の収納は、初期型の機体は窓側座席横にのみ確保されていた。その後-300/-400型では初期の機体と比べて天井に余裕が出来たため、窓側座席横とオーバーストウェッジの2箇所に収納が確保されている。また、一部の航空会社では地下の貨物室部分に調理場を設けて3階建てとしているほか、多くの政府専用機が機体前部の貨物室部分から機体へ乗り降りが出来るように機体収納式のタラップ (エアステア )を付けるなどの改造をしている。
2本通路(ワイドボディ )
機体および客室の幅が最大部で6.1メートルと、従来のボーイング707型機(最大部で3.54メートル)やボーイング727型機などのいわゆる「ナローボディ」機に比べ飛躍的に広がった。ボーイング707型機がエコノミークラス で横6席であったのに対し、747では横9席となり、後には短距離路線専用のSRが横10席を採用したことを機に、中長距離路線においても横10席が標準となった。また、客室の幅が広がったために旅客機として世界で初めて通路が1本から2本となっている。ただし、通路が2本となっているのはメインデッキの部分であり、2階席部分となるアッパーデッキは通路が1本となっている。
500席超
客室の幅や全長が飛躍的に広がったことを受け、日本国内線専用に開発され、日本航空がローンチカスタマーとなったSR-100型では、最大500席を超える座席数を設けることが可能となり、実際に全日空が500席以上を設定した。後に日本航空のみが導入した-300SR型や-100B/SUD型、日本航空と全日空のみが導入した-400D型では2階客室部分が延長され、約550席程度とさらに多くの客席を設けることが可能となった。
派生型
アメリカ空軍のE-4B
B747には -100型、SR型、SP型、-200B型、-300型、-400型、-400D、-400ER、-8型など、多数の派生型が存在する。また、軍用機としてアメリカ軍 用のE-4 やVC-25 などが存在する。空中給油機 型もあり、アメリカ軍での採用は得られなかったがイラン空軍 で使用された。
乗組員は-300以前の型では機長 、副操縦士 、航空機関士 の3名だが、747-400型、-400D型、-400ER型、-8旅客型は機長、副操縦士の2名である。
また貨物機 として-200F型、-400F型、-400ERF型、-400LCF型、-8F型があり、これらの他に旅客型から貨物型に改造された型も存在する。さらに、貨客混合型として-200C型、-200M型、-300M型、-400M型も存在する。
-300以前までの機体は、「747クラシック」と呼ばれ、-400シリーズは「ハイテクジャンボ」や「テクノジャンボ」と大別される。システムが異なるため、乗組員の操縦免許 も別扱いとなる。LR(Long Range)型という表現もあるが、SR(Short Range)型に対比するうえでの表現であり、特にLR型という派生型があるわけではない。
B747-100
747-100初号機「シティ・オブ・エバレット」
1970年に就航した747の初期モデル。パンアメリカン航空 によって同年1月にニューヨーク―ロンドン 線に路線就航し、その後同年中にトランス・ワールド航空 やノースウエスト航空 、日本航空 や英国海外航空 、ルフトハンザ航空 やエールフランス などの各国で路線就航した。
登場時には主にエンジンの出力不足の問題から航続距離等が予定性能に達せず、水噴射システムを装備することにより離陸重量の引き上げを行うなど苦労したが、1970年に入りエンジンを順次パワーアップして充分な航続性能を持つようになった。当時-100A型と区別していたが、当初水噴射システムエンジンを装備していた機材の大半はパワーアップしたエンジンに改修されたため、-100A型も-100型と呼ぶようになり型番が統合された。
日本航空は1970年4月に同型機を就航させ、2006年 10月 までは-100の発展型747-100B/SUD(アッパーデッキ延長型、機体記号 JA8170とJA8176)を運用していた。また、原型ともいえる747-100B(JA8164ほか全3機)も運航していたが、これは2006年初頭までに退役した。-100Bは短距離機として-200Bと並行生産されたもので、世界でも日本航空以外はイラン航空 (初号機のみ)およびサウジアラビア航空 の2社しか発注していない。日本航空の-100Bは後述のSRの増備機であった。またこのうちの数機が貨物型に改修された。
アメリカ では、パンアメリカン航空 、ノースウエスト航空 、トランス・ワールド航空 が国際線で、アメリカン航空 、コンチネンタル航空 、デルタ航空 、ユナイテッド航空 は当初はアメリカ国内路線での活躍にとどまった。
ユナイテッド航空 においては-100は当初同社が国内路線のみを主に就航していたものの、その後は自社購入機材と併せて、1985年 にパンアメリカン航空の太平洋アジア路線を購入した際に譲り受けた機材を、成田 経由の太平洋線やアジア 路線で飛ばしていた。しかし、1970年代初頭にボーイング747を購入したアメリカン航空 やウエスタン航空、イースタン航空 、デルタ航空 などの航空会社は、輸送力過剰であることや使い勝手の悪さなどの理由から3年から10年以内に3発機へ置き換えた。
デルタ航空の場合は当初-100を短中距離国内線のアトランタ -ダラス -ロサンゼルス 線に運用を限定していたため本領発揮にはほど遠く、そのため、新機材の選択をより慎重を要してロッキード L-1011 トライスター が選ばれた。またイースタン航空 は、-100を一時パンアメリカン航空からリースして国内線に使用していたものの、輸送力過剰だったため自社がローンチカスタマーとなったロッキード L-1011 トライスターを受領すると返却している。アメリカン航空 の場合は、大西洋 路線へ進出を図り-100をマクドネル・ダグラス DC-10 -30とともに活躍をしたものの、結局は輸送力過剰であった事から1980年代初頭には全機が売却された。
2018年 にゼネラル・エレクトリック 社のエンジン試験用に使用されていた元パンアメリカン航空 の機体(N747GE)が退役しアリゾナ州 のピマ航空博物館で静態保存 されることになったので[14] 、飛行可能な747-100はイラン空軍 所属の数機のみとなった[15] 。(イラン では経済制裁のためボーイング 社製の新しい機体を購入することが難しく、パフラヴィー朝 時代の1970年代に購入した機体を2020年 現在でも多く使用している。)
B747-SP
IranAir(イラン航空) 747-SP型機 成田国際空港 第2ターミナルで
パンアメリカン航空 のファン・トリップ 元会長らによる、東京 -ニューヨーク無着陸直行便の就航を目的とした機材の開発依頼に応えて、-100型を大幅に短胴化(約70メートル(230フィート以上)の全長を誇る普通の747シリーズに比べ、本型式では56メートル(185フィート)程度と、およそ20%もカット)して重量を低減することにより、航続距離の増大をはかったモデル。
"SP "とは"Special Performance "の略。先述した通り胴体を通常の747と比べて大幅に短縮したため、他のモデルとシルエットが大きく異なる。短胴化によるモーメントアーム減少への対策から、垂直 ・水平尾翼 とも翼端を各1.5メートルずつ延長している。また他の747と違いフラップはシングルスロッテッドで下翼面のフラップトラックが無い。747-SP 型は重量軽減のために胴体を短縮したが、副次的効果として機体がエリアルール に則した形状となり、巡航 速度が向上した。ボーイング社自身もこの予想外の効果に驚き、747のSUD (Stretched Upper Deck : 2階部分延長型)開発へとつながっていった。
1976年 にパンアメリカン航空 の東京-ニューヨーク無着陸直行便に初就航した。パンアメリカン航空の他にトランス・ワールド航空やブラニフ航空 、大韓航空 や中華航空 、アルゼンチン航空 や南アフリカ航空 など、超長距離便が多い、または周辺国との関係から周辺国を迂回せざるを得ない航空会社が購入したが、羽田空港 にデモフライトとして飛来実績があり、日本国政府専用機 の候補としてあがったが、東京-ニューヨーク無着陸直行便を飛ばしたいはずの日本航空からの発注は無かった。生産機数では747シリーズでもっとも少ない45機。1989年まで生産した。
また、機体の小型化のために航続距離が長くなったことを生かし、アラブ首長国連邦 やバーレーン などの政府専用機 として使われていた。アメリカン航空は-100を早期に退役させていたものの、1987年 にダラス-東京直行便を開設する際にパンアメリカン航空の中古機を購入し、1990年代にマクドネル・ダグラスMD-11と交代するまでの短期間運行した。イラン航空 は2011年 まで747-SP型を日本への定期便で運航していた。しかし、そのイラン航空も2018年 5月22日 のフェリーフライトをもって747-SP型を退役させた[16] 。
2023年 現在、ラスベガス・サンズ やオマーン政府 などがVIP仕様に改装された機体を、プラット&ホイットニー がエンジン飛行テスト用の機体を、NASAが成層圏赤外線天文台 (SOFIA)を所有するなど6~7機程度が稼働状態にあると考えられる。
B747SR-100
日本航空 747SR-100
70年代の日本の航空事情は、人口が多く、さらに利用者が増加したにもかかわらず空港インフラストラクチャーが貧弱なために、主要空港の発着数を増やせないことから、1便当たりの乗客数が多いという特徴があった。しかも短距離で離着陸回数が多い日本市場専用に、-100型をベースとして開発された短距離路線専用モデルがSR-100である。
ボーイング747型機の最大のカスタマーとなりつつあった日本航空 がローンチカスタマー となり導入された。SRとは「S hort R ange (短距離)」の略であり、当初はボーイング社により「スーパーエアバス」と称されていた。ローンチカスタマーの日本航空(1973年-1975年に7機導入)と全日本空輸 (1978年-1983年に17機導入)のみが発注している(全日空では「スーパージャンボ」と呼称された)。なお、広義のSRには前述の-100Bのうち日本航空が導入した機体を含めることがある。
長くとも3時間程度の日本国内路線専用機材のため、ギャレー やトイレ 設備の簡略化と数の削減が行われた上に、座席間隔を詰めて座席をぎりぎりまで詰め込むことにより、国内専門であった全日本空輸によって、導入当時は民間航空史上最多そして世界初の500席仕様が提供された。また、離着陸回数が増大するのに耐えるため機体構造の一部を強化し、疲労 破壊に備えて-200型と同様の降着装置 への変更や、ブレーキの改良などを行った。最大離陸重量 (主に燃料搭載量)を引き下げ、着陸料を低額に抑えている。後に全日本空輸が導入の際、-200B型では搭載エンジンが選択可能となっており、CF6-50の推力を落とした-45を選択している。
SR-100が近距離路線を中心に国際線に投入されたケースもあり、日本航空では大阪国際空港 (伊丹空港)と大阪-グアム 線に間合い運用として使われていた。本来国内線用の機材のためギャレーが少なく、フライトタイムも2時間半程度と短くしかも深夜帯のためにアルコール類の提供サービスが行われなかった。日本航空所属の機体番号JA8119(1974年 製造)は、1978年 に発生した日本航空115便しりもち事故 の後、ボーイング社により施された後部圧力隔壁の修理ミスが原因で、1985年 (昭和 60年)8月12日 、単独機としては航空機事故で史上最多の死者を出した「日本航空123便墜落事故 」を起こしている。この影響から、日本航空はSR-100型の運航を早期に終了することとなった。
また全日本空輸では2000年代まで、飛行時間が6時間を超える中・長距離路線である東京(成田)-ホノルル 線や東京(成田)-シドニー 線、名古屋(小牧)-ホノルル 線でもSR-100型を運航していた。これらの路線へ投入すべく一部の機材(機体番号JA8156とJA8157)を国際線仕様機へ改造している。エンジンを-200B型と同じハイパワー型のCF6 -50E2にスワップして最大離陸重量を引き上げ(-100型と同じ340トン前後へ変更することが可能で、航続距離が7000 - 8000km程度まで伸びる)、機内設備も国際線仕様へと変更するなど大掛かりな改造を行っている。またこれらの改修以前にも、香港 やパース などへの国際線チャーター便に使用していた。なお、SR引退と前後して、両社とも元々国際線用だった-200B型や-100B型を国内線に投入している。
日本航空では1988年 から引退が始まり、-400D型の受領が8機完了した1994年、残っていたJA8124の売却をもってSR-100全機材の登録が抹消となった[17] 。また全日本空輸も2006年3月10日の鹿児島 発羽田 行NH624便をもって(機体番号JA8157)が引退。日本の定期便からSR-100型は消えた。なお、元日本航空機の1機(機体記号JA8117→N911NA)は、NASA のスペースシャトル輸送機 として2012年 まで運用されていた。これは、元アメリカン航空の747-100改造機に次ぐNASA2機目の機材であった。
その後、これらの2社で使用されていたSR-100の多くは貨物機へと改造され、エバーグリーン・インターナショナルエアーラインズINCやユナイテッド・パーセル・サービス (UPS) がSR-100貨物機 (SR-100-F) ユーザーとなっている。また、日本貨物航空 も全日本空輸から購入したSR-100(機体番号JA8158)をSR-100-Fへ改造し(同時に全日本空輸が機体番号JA8157へ施したのと同じパフォーマンスアップを行っている)、中・短距離路線への投入目的でアジア諸国路線に就航させていたが、2006年1月28日のニューヨーク 発アンカレッジ 経由成田国際空港 行KZ115便をもって退役した。また、UPSについても-400Fの導入により退役した。
B747-100B/SUD
日本航空747-100B/SUD
日本航空747-400の2階(飛行中)
-300型のボディに-100B型のエンジンを搭載したモデルで、日本航空が発注したのみでわずか2機しか生産されていない。この稀有な機体は、外見は-300型と同じだが-100型が搭載していたエンジン(JT9D-7A)やその他システムを-300のボディに流用している。そのため、「-100B/SUD」と言う形式が与えられている。
後にJT9D-7Aエンジンが生産終了になると、-300をベースとした日本国内線専用機「-300SR」が増備されることとなった。この機材も日本航空が発注したのみである。
後述の-300SRとあわせて「SR-SUD」と呼ばれることがある。
B747-200B
アルゼンチン航空 747-200B
エールフランス 747-200B
マレーシア航空 747-200BF
-100型の機体構造を強化して性能を上げたモデル。747クラシックの標準的な旅客機型の機体である。開発当初は747B型と呼ばれていたが、初期型が-100型に名称が整理された時点で-200B型となった。日本 では日本航空 と全日空 が、アメリカ ではノースウエスト航空 、ユナイテッド航空 (ただし自社発注機は2機)、パンアメリカン航空 、アメリカウエスト航空 が(ともに中古機を)使用した。
ヨーロッパなどの-200Bユーザは個性豊かで、航空会社によってエンジンメーカーも異なっていた。エールフランス 、ルフトハンザ航空 、KLMオランダ航空 、アリタリア航空 はGE(ゼネラル・エレクトリック) 製CF6-50E2 を、英国海外航空 (後のブリティッシュ・エアウェイズ )はRR(ロールス・ロイス )製RB211-524D4 、エア・インディア 、イベリア航空 、アルゼンチン航空 、南アフリカ航空 はP&W(プラット・アンド・ホイットニー )製JT9D-7Q を装備した。サウジアラビア航空 もRB211-524D4を選択したが、-400以降はCF6-80C2B1Fを選択した。
また、イギリス連邦 諸国のキャセイパシフィック航空 (香港 )、カンタス航空 (オーストラリア )、ニュージーランド航空 はともにイギリス製のRB211-524D4を選択した。キャセイパシフィック航空 、サウジアラビア航空 、ブリティッシュ・エアウェイズ は同じRB-211エンジンを搭載したロッキードトライスターL-1011型を保有していた関係で整備の都合上とされた。またカンタス航空 とニュージーランド航空 の場合には路線によりブリティッシュ・エアウェイズの乗務員が運航していたこととロンドン・ヒースロー空港での整備の関係であった。
サウジアラビア航空 とニュージーランド航空 はその後に-400以降のエンジンをCF6-80C2B1Fへ切り替えた。例外はマレーシア航空 の747-236Bの2機で、RB211-524を装備している。もともとはブリティッシュ・エアウェイズ向けとして製造されたものの、キャンセルで一年以上もボーイング社で保管していた。マレーシア航空はこれを格安で購入。初の747としてクアラルンプールから欧州へのフライトに備えていた。日本に寄航したのはそれから10年以上後で、ロサンゼルス線寄港便に使用していたが、現在[いつ? ] は貨物専用機へ改造された。
そして日本航空 が1983年に導入した3機の-200B型 は、より自重の重い-300型に搭載されているJT9D-7R4G2を搭載している。また追加の燃料タンクを搭載し最大離陸重量を引き上げることによって航続距離を11,000km以上に延長。軽量な-200Bのボディにパワーの大きい-300のエンジンを組み合わせることにより、-SP型並みの性能を得ている。これにより日本航空 は、当時最大のライバルだったパンアメリカン航空 の東京 - ニューヨーク直行路線(パンナムは-100SPを使用していた)へよりキャパシティの大きい-200B型を投入し、巻き返しを図ることに成功した。なおその後、同型の仕様機をノースウエスト航空やユナイテッド航空も導入している。
747-300登場後の1984年 - 1986年には就航中の747-200Bのアッパーデッキを-300同様に延長する改造工事がKLMの10機とUTAフランス航空 の2機に施工され、-200B/SUDという型式を得ている。
これらの-200Bは、-400の出現などで-200BSF(貨物改造機)への転用改造やチャーター会社への売却が増えており、たとえばアトラス航空 ではこれらの中古旅客機を購入して貨物機へ改造することも積極的に進めている。このような中古機は老朽化が進み、耐空時間の面でも余裕が少ないという見方も強いことから、残された寿命もそれほど長くはないとも言われているが、タイのオリエント・タイ航空 やプーケット航空 などの新興航空会社が、このような中古の747-200Bを積極的に導入しているほか、ヨーロッパ、米国などへのチャーター便を運航する航空会社も導入しているため、今後しばらくは運用が続くとする見方もある。
2005年 現在、保管中の747-200Bは、ピナルカウンティ、マラーナ飛行場(アリゾナ州 )とラスベガス ・マッカラン国際空港 (ネバダ州 )などで合わせるとおよそ30機ほどある。
B747-200F
ノースウエスト航空 747-200F
1969年にルフトハンザ航空 の発注により開発された貨物型の機体で、機首部のコクピット前方にヒンジを持つバイザー式貨物扉を装備し、床面に動力式のローディングシステムを装備し、貨物の搭降載作業を簡略化出来るよう改造されている。バイザー式貨物扉および動力式のローディングシステムは以降の各貨物型へと引き継がれる。なお、日本貨物航空 が受領したJA8194号機は747クラシックの最終号機でもある。
一方アメリカではパンアメリカン航空 、ノースウエスト航空 、フライング・タイガー・ライン (1989年 、フェデックス に買収された)がこれを採用してきた。現在ではノースウエスト航空、アトラス航空 、ポーラーエアカーゴ 、UPS 、カリッタ・エア が純貨物機または貨物改造機を飛ばしている。日本では、かつてフライング・タイガーが成田、伊丹の他アメリカ軍横田基地 などといったアメリカ軍関連輸送にも従事していたことも有名であった。
アジアでは大韓航空 (コリアン・エアカーゴ部門)、中国国際航空 、チャイナエアライン 、キャセイ・パシフィック航空(ブリティッシュ・エアウェイズからの購入機から始まった)、シンガポール航空 (9V-SKQのみであとは全て-400貨物型)、サウジアラビア航空 が導入している。
日本では日本航空・日本貨物航空が採用した。当時の日本航空の機材にはパンアメリカン航空からの購入機が2機あり、JA8160とJA8165が該当していた。ただし、両者とも747-400F型への置き換えにより、国外に売却された。
日本航空が運航していたJA8132など、ごくわずかながらサイドカーゴドアを備えていない機体が存在する。
B747-200C
イラン航空のボーイング747-200M
ワールド・エアウェイズ が最初に導入した機体で、貨物・旅客または客貨混合輸送も可能としたいわゆるコンバーチブル機である。機首部にはバイザー式貨物扉やサイドカーゴドアも装備している。生産した機体はそれほど多くはなく、他にはヴァリグブラジル航空や南アフリカ航空などである。
B747-300
パキスタン国際航空 747-300
747SPにおける設計変更から副次的にエリアルール の効果を得た経験を受け、-200型の2階部分を後方に延長したモデル。空気抵抗の増加が少ない割りに座席数を大幅に増やせるため、後に出てくる-400型と共に航空会社に広く受け入れられた。一部の航空会社では、-100型や-200型を改造して-300型のような胴体にしたところもある。このような機体は -100/SUD、-200/SUD(Stretched Upper Deck)と呼ばれ、-300とは区別される。
1982年に初号機がロールアウトした後に、スイス航空 へ納入された。後にシンガポール航空、UTA (UTA、現エールフランス )、日本航空、南アフリカ航空 、キャセイパシフィック航空 、ヴァリグ・ブラジル航空 、マレーシア航空、サベナ・ベルギー航空 等へ納入された。アメリカの航空会社からのオーダーはなかった。
エア・インディア が保有している(かつてタイ国際航空 とヴァリグ・ブラジル航空 も保有していた)747-300型は、B747クラシックとしては最後期に生産された機体ということもあって-400と同様のフェアリングに変更されている。また747クラシックの特徴であった主翼端のHF帯アンテナも無く(-400と同様に垂直尾翼に移設されている)、エンジンも-400と同じGE 社のCF6 -80C2を搭載しているため、窓等一部違いはあれど外見上は747-400D型と区別が付かない。このエア・インディアの747-300は、かつて成田空港に定期便として就航していた。また、エア・インディアの同型機は貨客混載機(コンビ型)でもある。このコンビ型はシンガポール航空やKLMオランダ航空 でも使用されていた。
B747-300SR
日本航空 747-300SR
1988年にSR-100型の後継機として日本航空に納入された機体。2階席部分の客室が延ばされたために当時としては世界最大の座席数が設定された。この-300SRは世界でも4機しか生産されておらず、導入した航空会社も世界中で日本航空のみである(その後系列会社のJALウェイズも使用している)。
前述の-100B/SUDと併せて「SR-SUD」と呼ばれることもあった。
機体そのものは-300型だが、日本国内での特殊な運航事情に合わせ-SR100型や後継機の-400D型と同じくボディ補強が施されている。そのため、ベースとなった-300型に比べて機体の自重が重い。
エンジンは、ベースとなった-300と同じJT9D-7R4G2エンジンを搭載する。
そのため、国際線仕様機への改造(最大離陸重量の引き上げ、内装の一部改修等)を施せば中・長距離路線へ投入が可能である。
納入直後からSR-100型のより直接的な後継機となる-400Dの納入が開始されたため、-300SR型は全て中長距離路線就航に合わせた改修を受け、日本 - ホノルル 線などで活躍し、2009年7月24日の那覇発東京行JL3946便(機体番号JA8183)をもって有償飛行を終え、日本航空から引退した。
B747-400
コルセールフライ の747-400(機体記号 :F-GTUI)
-300型までの、いわゆる「747クラシック」の後継機として新世代の技術を投入し開発されたモデルで「ハイテクジャンボ」と呼ばれる。航空機関士 を要しない2人乗務が可能となった等で在来型から劇的な進化を遂げた型式である。
外観は-300と比べウィングレットくらいしか大きな相違点がないため(-400Dを除く)、-300も導入していた各航空会社では新型機と印象付けるためもあり、日本航空では「スカイクルーザー」、全日空では「テクノジャンボ」、シンガポール航空では「Megatop」などの愛称が付けられた。なお貨物型の2階部分は―100や―200と同様の形となっている。
1989年にノースウェスト航空が運航を開始し、その後日本航空やシンガポール航空、キャセイパシフィック航空やヴァリグ・ブラジル航空、全日本空輸やノースウエスト航空など世界各国の航空会社に導入された。
さらにその後貨物型の-400Fや貨客混載型の-400コンビ、航続距離延長型の-400ER、日本国内線専用の-400Dなどが開発され、ボーイング747ファミリーの中では最多の生産数となる633機を記録した。2009年9月をもって生産終了をした。現在は貨物型に改修された-400が多く飛んでいる。
B747-8
747-8F
747シリーズの最終モデルである。-400の後継機として787 に似た主翼そして同じエンジンを装備し、わずかに胴体を延長した747の最新モデル。旅客型の-8ICと貨物型の-8Fがある。
747としては初めて旅客型より貨物型の受注が先行した型式である。777-300 とエアバスA380 との中間程度のキャパシティを持つ機体となった。その容量を生かした内装を施されているが、787 に装備された旅客型の客室内加湿システムは導入されていない。
2017年 7月30日 、B747-8Iの最後の引き渡しが大韓航空 へ行われた。機体記号 は HL7644 [18] 。
このHL7644が最後に製造 されたB747シリーズの旅客機 となった[19] [20] [21] 。
2023年1月31日、先述の通りB747-8Fの最後の引き渡しがアトラス航空 へ行われ、すべての747の製造・引き渡しが完了した[10] [12] 。
技術データ
エンジン
カバーを外したRolls-Royce RB.211 (747-230のもの)
降着装置
P&W(プラット・アンド・ホイットニー )製 JT9D-7A 型 ターボファン 4基 または
RR(ロールス・ロイス )社製 RB211-524B2 型 ターボファン 4基
P&W製 JT9D-7R4G2型 ターボファン 4基 または
RR製 RB211-524D4型 ターボファン 4基 または
GE(ゼネラル・エレクトリック )製 CF6-50E2 型 ターボファン 4基
P&W製 PW4056型 ターボファン 4基 または
RR製 RB211-524H型 ターボファン 4基 または
GE製 CF6-80C2B1F型 ターボファン 4基
GE製 GEnx-2B67型 ターボファン 4基 のみ
仕様
項目\機種
747-100 (初期型)
747-400ER
747-8 (最新型)
全長
70.6 m
70.6 m
76.4 m
全幅(翼端)
59.6 m
64.4 m
68.5 m
全高
19.3 m
19.4 m
19.5 m
胴体幅
縦 7.85 m ,横 6.49 m
内部キャビン幅
6.1 m
翼面積
511 m2
541 m2
空虚重量
162.4 t
180.8 t
最大離陸重量
333.4 t
412.8 t
440t
巡航速度
M 0.84
M0.855 (913 km/h)
旅客 M0.855 貨物 M0.845
航続距離
9,800 km
14,205 km (ニューヨーク - 香港)
旅客 14,815 km 貨物 8,275 km
貨物容量
170.6 m3 (5 パレット + 14 LD1 コンテナ)
158.6 m3 または 137 m3
旅客 161.5 m3 貨物 854.3 m3
エンジン
P&W社 JT9D型
GE社 CF6-80C2B1F型
P&W社 PW4056型
GE社 GEnx-2B67型
推力
209 kN × 4基
281.57 kN = 63,300 lb(PW4062型) 276.23 kN = 62,100 lb(CF6-80C2B5F型)
66,500 lb
乗員
3名
2名
2名
乗客(基本)
3クラス 366名 2クラス 452名
3クラス 416名 2クラス 524名
3クラス 467名
座席数導入例
JAL国内線-100B退役 563(25+538)
-
-
service life(限界機齢)は、20年程度として設計されている。747LR(国際線用)の場合、総飛行時間が6万時間、離着陸回数は20,000回(SRはより強化)となる。
売上・生産機数
747-100
747-100型 総生産機数:167機
747SR-100型 総生産機数:7機
747SR-100B型 総生産機数:20機
747-100B型 総生産機数:9機
747-100B/SUD型 総生産機数:2機
747-100シリーズ 総生産機数:205機
747-SP
747SP 総生産機数:45機
747-200
747-200B型 総生産機数:229機
747-200F型 総生産機数:73機
747-200C型 総生産機数:13機
747-200M型 総生産機数:78機
747-200シリーズ 総生産機数:393機
747-300
747-300型 総生産機数:56機
747-300M型 総生産機数:21機
747-300SR型 総生産機数:4機
747-300シリーズ 総生産機数:81機
747-400
747-400型 総生産機数:442機
747-400M型 総生産機数:61機
747-400D型 総生産機数:19機
747-400F型 総生産機数:126機
747-400ERF型 総生産機数:40機
747-400ER型 総生産機数:6機
747-400シリーズ 総生産機数:694機
B747-8 シリーズ
最終号機: 大韓航空 HL7644 2017/07/30 引渡済[19] [20] [21]
最終号機: アトラス航空 N863GT 2023/1/31 引渡済[10] [12]
現在の運航状況(目安)
詳しい最新の情報は次のページを参照。
List of Boeing 747 operators - Wikipedia (英語)
B747-200F
B747-8I
B747-400
バーレーン 政府専用機
B747-300
過去に運航していた会社
B747-400
B747-300
B747-200
B747-100, B747SP
地域別
アジア地域
ヨーロッパ
アメリカ地域
南アメリカ地域
オセアニア
アフリカ地域
政府等
特別塗装機
B747-8I
ルフトハンザドイツ航空
D-ABYT(レトロ塗装)
2015年 4月のルフトハンザドイツ航空創立60周年を記念して、当機に1970~1980年台の旧塗装が施された。なお、このD-ABYTというレジは以前にB747-200で同じレジがあり、B747-8Iは2代目のものだったが、偶然にも初代のレジの機体もこの塗装となっており、同じB747かつ同じレジで同じ塗装が受け継がれることとなった。
B747-8F
B747-400
日本航空
JA8083(-400D)・JA8084(-400D)・JA8904(-400D)・JA8905(-400D)・JA8908(-400D)・JA8912「JALドリームエクスプレス 21」
JA8904(-400D)「フリーダイヤル 国内線・国際線予約」1996〜97年にかけて、胴体の左側に国内線右側に国際線の予約窓口の電話番号を書いた機体が運航された。
JA8908(-400D)「シドニーオリンピック がんばれ!ニッポン!」2001年、シドニー五輪日本代表選手団のオフィシャル・エアラインとしてJOCエンブレムと“がんばれ!ニッポン!”の文字を機体にあしらった特別塗装機を国内線に就航させた。詳細は [2] を参照。
JA8906・JA8907「JAL国際線就航50周年記念」国際線就航50周年を記念し、2機の-400型機胴体後部に、国際線就航時の航空機であるDC-6の絵を大きく描き込んだ。旅客機黎明期と大量輸送時代の機体の大きさの差が一目でわかるデザインであった。詳細は 1 を参照。
JA8904(-400D)・JA8905(-400D)「たまごっちジェット」詳細は [3] [4] を参照。
ブリティッシュ・エアウェイズ
キャセイパシフィック航空
B-HOX「THE SPIRIT OF HONG KONG 香港精神号(2代目)"SAME TEAM, SAME DREAM.,積極進取 飛越更高理想"」
B-HOY「Asia's world city」
チャイナエアライン (中華航空)
B-18210(ボーイング社ハウス塗装)
B-18211(スカイチーム 塗装)
タイ国際航空
HS-TGW(スターアライアンス 塗装)
HS-TGP (レトロ塗装)
HS-TGO (ロイヤルパージ塗装)
マレーシア航空
9M-MPB (ハイビスカス塗装)
9M-MPP (レトロ塗装)
A380の重整備に伴い期間限定復活として2016年に運用を外れていた同機に施され、試験飛行も行っていたが、結局1度も路線投入されることなく登録抹消された。
シンガポール航空
9V-SPK・9V-SPL「トロピカル・メガトップ」
9V-SPP (スターアライアンス塗装)
2005年から同社から退役する2012年まで運航。
カンタス航空
VH-OEF(ワンワールド 塗装)
VH-OJB「Wunala Dreaming (ウナラ ドリーミング)」先住民を讃える特別塗装機シリーズ「Flying Art Series」の二代目。
VH-OEJ「Wunala Dreaming (ウナラ ドリーミング)」先住民を讃える特別塗装機シリーズ「Flying Art Series」の三代目。VH-OJBと同じ塗装を再びVH-OEJにペイントした。
ニュージーランド航空
ロシア航空
大韓航空
大英博物館 塗装[27] HL7488
HL7491 大韓航空 FIFAワールドカップ2002
全日本空輸
JA8963(-400D) マリンジャンボ
JA8961(-400D)「スヌーピー号1996」
JA8965(-400D)「スヌーピー号1997」「ポケモンジェット1998」
JA8962「ポケモンジェットインターナショナル」
JA8964(-400D)「ANAポケモンジェット1999」
JA8957(-400D)「ピカチュウジャンボ」
JA8956(-400D)「お花ジャンボ」
747-300
カンタス航空
VH-EBU「Nalanji Dreaming」先住民を讃える特別塗装機シリーズ「Flying Art Series」の初代機である。魚やカメなどをアボリジナルアートで表現した個性豊かな塗装であった。
南アフリカ航空
ZS-SAJ「Ndizani」1996年のアトランタ五輪の際、南アフリカ共和国選手団輸送機に施された特別塗装で、人形の絵が胴体・垂直尾翼全体に描かれた独特な塗装であった。五輪後も数年この塗装を継続した。
日本アジア航空
747SP
747-200
キャセイパシフィック航空
B-HIB「THE SPIRIT OF HONG KONG 97 香港精神号(初代) "家 "」
日本アジア航空
JA8130(-200B)「Yokoso!Japan!」
747-100
日本航空
JA8142(-100B)「JALドリームエクスプレス(初代)」
JA8170(-100SUD)「JALドリームエクスプレス(初代)」「GLAY JUMBO 」
全日本空輸
JA8139(-100SR)「スヌーピー号1997」
特徴あるB747
N7470「シティ・オブ・エバレット」
アメリカン航空 のN602AA
AALのハイブリッド塗装にNASAのマークを付けたN905NA
スペースシャトルを輸送中のNASA所有747-100改造機
アメリカ
ボーイング747生産第一号機。生産地を称えてシティ・オブ・エバレット の愛称が付けられている。現在はシアトルの航空博物館・西館にて展示・静態保存され、エンジンも取り外されている。ボーイング767 とボーイング777 のエンジンを第2エンジン部に付け替えて行う「エンジンテストベッド機」として使用された。
N747PA 747生産第二号機のクリッパー・アメリカ (パンアメリカン航空)。1971年 にボーイング747初の人身事故 を起こしている。1992年にメキシコに売却、翌年退役後解体された後2000年頃に韓国・南楊州市 で再組み立ての上2005年までレストランに利用の後2010年解体[28] 。
N736PA 本来予定されていたクリッパー・アメリカに変わり747初の商業飛行に投入された機材で、クリッパー・ビクター (パンアメリカン航空)と呼ばれる。1977年 3月27日 、航空史上最悪の事故であるテネリフェ空港ジャンボ機衝突事故 で喪失した。
N905NA
NASA がアメリカン航空から購入し、スペースシャトル ・オービタ を輸送するシャトル輸送機 に改造された。購入後は暫くのあいだAALのハイブリッド塗装のままで飛んでいたが、その後NASAのフルカラーに塗り替えられ2014年まで利用され、2015年よりケネディ宇宙センター ビジターコンプレックスに実物大シャトル模型「インディペンデンス 」を載せた状態で展示されている。アメリカン航空時代はN9668。
747-400生産第一号機。1988年 4月に製造後、1年半以上の試験飛行の後、1989年 12月にノースウエスト航空 に引き渡された。ノースウエスト在籍中の2002年 10月9日 、下部方向舵の故障で緊急着陸をするインシデント を起こしている。2008年 にデルタ航空 に吸収合併された為、2009年に同社に移管。2015年9月9日に退役。2017年よりアトランタ の「デルタ航空博物館 」で一般公開開始[29] 。
日本
JA8109
1973年 に発生した日本赤軍 らによるドバイ日航機ハイジャック事件 において、JAL機で唯一テロリスト に爆破され、活躍が1年弱と短命だった機体。同機の尾翼は比較的状態が良かったため、KLMオランダ航空 に売却された。しかし、その機体は4年後のテネリフェ空港ジャンボ機衝突事故 で失われた。
JA8117→N911NA
JALの747SR1号機。また世界初の短距離仕様747である。引渡し前は垂直尾翼に「SR」と文字が大きくペイントされていた。JAL123便事故の影響で退役した際、NASAがチャレンジャー爆発事故 を受けて1988年 に購入、シャトル輸送機に改造。こちらは改造時にNASAの正式塗装となった。
JA8118
JAL123便事故の責任を取るかたちで1988年4月、金属疲労試験を目的としてボーイング社に買い戻された。現在、胴体を輪切りにした一部がロンドンに展示されている(SR引退1号)。
JA8119
1985年 8月12日 のJAL123便事故 で墜落、520人の死者が出る大惨事となった。単独の航空機事故としては、史上最多の死亡者数となった。事故原因は、1978年大阪国際空港 でのしりもち事故 後のボーイング社による修理が不適切であったため。
JA8151→N740SJ→JA8937
貨物専用機。1994年にサザン・エア・トランスポートへ売却したが、1998年に同社が破綻したため機体を買い戻し、1999年に日本で再登録された。その後2008年にオリエント・タイ航空 へ売却。
JA8161、JA8162、JA8169
エグゼクティブ・エクスプレス という機体愛称が与えられ、東京成田 ~ニューヨークJFK 間の直行便専用機として活躍した。なお、通常のJALの-200Bと異なり、JT9D-7R4G2エンジンを搭載しており、燃料タンクも増設されていた。
JA8096
東宝系映画『ハッピーフライト 』で使用された機体。国内航空業界史上初で15日間、収録目的で無料レンタルされた。また同社の747として「全日空 - All Nippon Airways」の塗装で退役した最後の機体となった(映画ではCG処理で「ANA」塗装に変更していた)。
JA8955
1996年末に、世界で初めてボーイング747-400D(国内線仕様)にウイングレットを取り付け、-400(国際線仕様)に改修された(事例は、JA8957も同様)。
全日本空輸 ポケモンジェット JA8957
JA8963
日本でのスペシャルマーキング機の嚆矢と言われるマリンジャンボ 塗装でロールアウトされた機体。
JA8965
初代ポケモンジェット の一機として使用された機体。
JA8966
ボーイング社最終製造の747-400D型機。全日空61便ハイジャック事件 当該機。
JA8133
ANA初の4発機。世界で初めて500席以上の座席を配置させた機体。
JA8147
2004年退役後、解体されたが残骸が2005年公開の映画『宇宙戦争 』の劇中で墜落した旅客機として使われ、その後ユニバーサル・スタジオ・ハリウッド にて野外展示されている。
JA8157
国内線用の747-100SR型でありながら、途中で国際線仕様に改修された機材。キャビンレイアウトを国際線仕様にしただけでなく、エンジンを推力の大きいものに変更、最大離陸重量の引き上げなどを実施して、日本からヨーロッパまでノンストップ飛行が可能だった。また当機が(JAL機材を含めて)日本の空を最後まで飛んでいた747SRであり、ラストフライトの際にはノーズに花束が描かれた。
JA8159
ボーイング社最終製造の747-100SR型機。ANA最後の500席仕様(536席)の747クラシック。ANAがトリトンブルー塗装を発表した後に納入されたにもかかわらず、モヒカンブルー塗装として引き渡された(後にトリトンブルー塗装へ変更)。
JA8190
747-200B型機の最終製造機。すでに-400型機の生産が開始された中で製造されたため、翼胴フェアリングなど一部が-400仕様となっている。
JA8192
日本籍の747では唯一の中古機。元アリア・ヨルダン航空 機で、ブリティッシュ・カレドニアン航空 を経て1990年にANAに納入された。
JA10KZ
ボーイング社最終製造の747-400F型機(-4KZF)。
JA11KZ
日本籍登録機では初めての747-8F型機(-8KZF)。
JA13KZ
日本籍の747-8F型機では最初に納入された(-8KZF)。
韓国
B747-400 HL7488
大英博物館 塗装[27] 。
B747-8I HL7644
全旅客機型B747シリーズの中で、最後に製造された機体[18] 。
ドイツ
ルフトハンザドイツ航空のD-ABYA
747-8インターコンチネンタル型機で世界で初の商業フライトに投入された機材。ルフトハンザドイツ航空 向け初号機でもあり、フランクフルトからワシントンDCへの記念すべきファーストフライトを実現させた。初代機は747-130(MSN19746/12)で使用されていた。
イラン
・EP-SIH
元イラン空軍5-8113でサハエアEP-SHBで一度退役したがまた再度サハエアに登録された
イギリス
-136。1991年2月、クウェート侵攻 が始まったにもかかわらずクウェート国際空港 に誤着陸し、乗員乗客全員が拉致されてしまった (なおイラク兵によって女性客室乗務員 が性的暴行 を受ける戦争犯罪 が起き、クウェートの王子 も殺害されている)。その後、人質となった全員は無事解放されたものの、機体は連合軍による空爆で破壊されてしまった。これはブリティッシュ・エアウェイズ が、ボーイング747型機で唯一起こした全損であった。
-400。ヴァージン・オービット が運用する空中発射ロケット 発射母機。ヴァージン・アトランティック航空 が利用していた機体(G-VWOW)の左翼下にロケットを懸架できるように改修している。後にヴァージン・オービット の拠点があるアメリカで再登録(N744VG)された。
クウェート
クウェート 政府が導入した747-8IBBJ。政府専用機として導入された例は、-8として政府専用機は初。
モルドバ
・4L-GEO
GEO skyが持っている747-200F。元ザ・カーゴ・エアラインの機体で登録記号が今の所有会社と同じ。
空軍
VC-25 82-8000/82-9000
アメリカ空軍 所属のアメリカ大統領専用機 (VC-25)。1986年にロールアウトし、1987年に初飛行したものの、仕様変更に手間取ったため引き渡しが遅れ、アメリカ空軍に納入されたのは前述のANAのJA8190よりも遅い1990年であった。このため本機が747-200Bの最終製造機であるとされる誤りがたびたび見られる。2021年頃退役予定。後継機は747-8。
20-1101/20-1102(旧JA8091/JA8092)
航空自衛隊 が運用する日本の政府専用機 。導入当初は総理府所属の民間機扱いで「JA8091/JA8092」の登録記号を使用していたが、1992年4月より航空自衛隊に移管となり「20-1101/20-1102」という軍用の機体識別記号となる。2019年3月退役。4月より後継機は777-300ER 。
5-8103/5-8105/5-8107
イラン空軍 所属の空中給油機。元トランス・ワールド航空 所属。
EP-AJT/5-8106/5-8108/5-8113
イラン空軍 所属の貨物機。元トランス・ワールド航空 所属。
主な保存機
デルタ航空博物館に保存された747-400生産第一号機
機種
シリアルナンバー
機体番号
保存場所
747-121
20235/1
N7470
ワシントン州 シアトル 、Museum of flight
1969年に作られたプロトタイプ機。カスタマーコードはパンアメリカン航空のものになっているが実際に引き渡されたことはなく、90年代までボーイング社所有の試験機として使用された。
747-121
19641/7
N691UP
中華人民共和国、上海近郊
1970年に作られ、パンアメリカン航空でN743PA (Clipper Flying Cloud)として運用。2010年にUPS航空から引退後、分割され上海に移動。さらに2020年に別の場所に移動。
747-132
19896/19
N481EV
オレゴン州 、エバーグリーン航空宇宙博物館
1970年に作られ、デルタ航空で運用。
747-121
19650/24
S2-AFA
マレーシア、ジョホールバル近郊ケンパス
1970年に作られ、パンアメリカン航空でN743PA (Clipper Black Sea)として運用。2018年に分割の上現在地に移動。
747-121
19651/25
N747GE
アリゾナ州 ツーソン 、ピマ航空宇宙博物館
1970年に作られ、パンアメリカン航空でN744PA(Clipper Ocean Spray)として運用。1991年のパンアメリカン航空の破産後ゼネラル・エレクトリック社に購入されエンジン試験機として2018年まで稼働した。
747-123
20107/86
N905NA
テキサス州 ヒューストン 、ジョンソン宇宙センター
1970年に作られ、アメリカン航空で運用。1974年にNASAに売却され、シャトル輸送機として2011年のスペースシャトル退役まで稼働。
747-244B
20239/160
ZS-SAN
南アフリカ 、ヨハネスブルク 、ランド空港
747-246B
20529/192
HS-UTB
タイ、ナコン
元日本航空のJA8113。大学施設として使用。
747-128
20541/200
F-BPVJ
フランス 、パリ 、ル・ブルジェ航空宇宙博物館
747-212B
20712/218
N485EV
ロードアイランド州
エアフォースワン・エクスペリエンスとしてエアフォースワン風に改装され主権者教育に使用されている。JT9D搭載なので実物との判別は容易。ニューヨーク州への移動予定がある。
747SR-46
20781/221
N911NA
カリフォルニア州 パームデール ジョーデイヴィスヘリテージパーク
747SRの初号機、JA8117であった。JAL123便事故の影響で早期にJALを離れ、シャトル輸送機として2011年まで運用。
747-2B5B
20770/213
HL7463
韓国、済州、靜石航空博物館
大韓航空の747初号機。
747-212B
21162/283
3D-NEE
スウェーデン、ストックホルム
シンガポール航空に1976年引き渡し。以降パンアメリカン航空、キャセイパシフィック航空などを経て、ノースイースト航空で運用。その破産後、ホテル「ジャンボステイ」として利用。
747SP-44
21134/288
ZS-SPC
南アフリカ、ヨハネスブルク、ランド空港
747-236B
21239/302
G-BDXB
中華人民共和国、厦門、厦門大学
ブリティッシュエアウェイズの747-200の中で唯一現行塗装になった機体である。2001年より現在地で教育用に保存。
747-206B(SUD)
21549/336
PH-BUK
オランダ、レリスタット空港
KLMで運用されていた747-206Bであるが、稀有な一度ショートアッパーデッキとして製造されたのちアッパーデッキを延長した機体である。Louis Blériotという愛称がある。
747-230M
21588/342
D-ABYM
ドイツ ・ラインラント=プファルツ州 シュパイアー 、シュパイアー技術博物館
ルフトハンザ航空で1978年から2001年まで運用。Schleswig-Holsteinという愛称がある。
747-2J9F
21514/343
EP-ICC
イラン、テヘラン航空展示場
イラン革命前に購入されたイラン航空発注の747-200F。
747-238B
22145/410
VH-EBQ
オーストラリア、ロングリーチ、Qantas Founders Outback Museum
747-146B
22067/427
5U-ACG
マレーシア、ジョホールバル近郊ケンパス
元日本航空のJA8143。
747-236B
21831/440
G-BDXJ
イギリス、ダンスフォールド空港
元ブリティッシュエアウェイズ。映画『007 カジノ・ロワイヤル 』の撮影に用いられた機体で、撮影のためエンジンが独特の形状のものになっているが、2020年現在4基のRB211が運び込まれていて、近い将来元の形に復元される可能性がある。
747-212B
21942/471
N642NW
千葉県 山武郡 芝山町 航空科学博物館
機首部分(セクション41)を展示。
747-246B
22479/496
HS-UTR
タイ、カセチャイ農場
JALグループ最後の747-200Bだった。
747-338
23223/606
VH-EBU
オーストラリア、ヴィクトリア州アヴァロン空港
747-451
23719/696
N661US
ジョージア州 アトランタ デルタ航空博物館
747-400の初号機。ノースウエスト航空 に引き渡されたのち、ノースウエスト航空を吸収合併したデルタ航空 で運用された。
747-438
24354/731
VH-OJA
オーストラリア、ニューサウスウェールズ州、シェルハーバー空港
商業飛行世界最長記録を樹立。シティ・オブ・キャンベラ の項を参照。
747-436
27090/959
G-BNLY
イギリス、ダンスフォールド空港
元ブリティッシュエアウェイズ。2019年に落成時のLandor塗装に復刻されたが、COVID-19の影響で早期に退役。
747-436
25823/1195
G-BYGC
イギリス、セントアサン空港
元ブリティッシュエアウェイズ。2019年にBOAC塗装になったが、COVID-19の影響で早期に退役。
747-436
25811/1018
G-CIVB
イギリス、コッツウォルズ空港
元ブリティッシュエアウェイズ。2019年にNegus塗装になったが、COVID-19の影響で早期に退役。
747-436
25822/1157
G-CIVW
イギリス、ダンスフォールド空港
元ブリティッシュエアウェイズ。COVID-19の影響で早期に退役。
事故・事件
主な事故や事件
B747は製造数が多いこともあり、多くの航空事故 に遭遇している。設計上の欠陥による事故は少なく、操縦ミスや不適切な修理や整備による事故やテロリスト による事件が多い。機体の経年化による事故も起き始めている。
事故概略
機体損失事故
30回、総計2843人死亡。
他の原因
6回、総計857人死亡。
ハイジャック
29回、総計22人死亡。
運用時の問題
運行初期には、乗客や貨物の多さから空港関係者に混乱を招いた。日本では1970年3月11日から羽田 - ホノルル線などに就航したが、出発地の荷物の積み込みなどに時間を要し、日本への延着が慢性化。連日、多数の税関 検査官をはじめとした関係者らが残業して数百人の乗客を待ち受けるという事態となった。折り返しの出発便は、羽田空港の出発時間規制(23時以降)を超過することもあったが、数百人もの乗客を朝まで空港に待機させる方が問題が大きいとして規制を無視する形で出発が行われた。航空局はパン・アメリカン航空に対して、同年4月以降、3機から4機体制に増強することを踏まえ警告を出した[30] 。
脚注
注釈
出典
参考文献
関連項目
外部リンク